バルトーク (1881~1945) 《中国の不思議な役人》 ハイライト

bartok-photo-thumb新しい方法論を模索するバルトーク

バルトークは無論、クラシック音楽史に名を残す大作曲家であるが、民俗音楽研究家という側面も持っている。そしてバルトークの場合は、この民俗音楽研究が作曲へとフィードバックされたところも大きい。バルトークの音楽は複雑なリズムとどこか奇怪な様相で知られているが、初期のバルトークはそうではなかった。習作にあたる《コッシュート》(1902)は、題材こそ祖国ハンガリーの英雄から取ったナショナリスティックなものだが、その音楽技法はR.シュトラウスばりの「ドイツ的」なものであった(音楽技法を国別に分類すること事態がある種イデオロギー的な視点の産物ではあるのだが)。

 

 

バルトークがそういったものから離れて独自の音楽技法に到達するに際し、ハンガリーをはじめとする中東欧の様々な民俗音楽から受けた影響は極めて大きい。19世紀的な芸術音楽を大きく特徴付ける調性理論とは全く別のところにある民俗音楽のあり方は、既存の大作曲家とは異なる独自のアイデンティティを模索していたバルトークを大きく勇気づけるものであっただろう。そしてストラヴィンスキーの《春の祭典》(1913)の影響もまた見逃せない。野蛮性と複雑なリズムによって形作られたこの音楽はそれまでの音楽とは全く異なるものであり、こういう方法論で音楽を作ることができるというのが示されたことは、バルトークのような新しい方法論での作曲を試みる若き作曲家達にとってまさしく天佑に近いものがあった筈だ。バルトークの《中国な不思議な作品》はその野蛮性と複雑なリズムによって、ストラヴィンスキーが《春の祭典》によって切り開いた道を後に続く作品となった。

全曲版と組曲版

《中国の不思議な役人》は、もともと無言劇(パントマイム)のための音楽として作曲されたものであった。ハンガリーの劇作家レンジェルが1917年に発表した『中国の不思議な役人ーグロテスクなパントマイム』に惹かれ、その作品に音楽を付けるべく作曲を開始する。しかし時は第一次世界大戦終焉間近。ウィーンに住むハプスブルク家の皇帝が支配したオーストリア・ハンガリー帝国は第一次世界大戦の敗北とともに崩壊、ハンガリーは国の政体が変わる混乱期に入る。作曲活動はなかなか進まず、完成は1925年2月頃となる。しかし無言劇としてのハンガリー国内での上演は、後述する物語の筋が問題視されたため実現が難しい状況だった。結局初演は1926年、ドイツのケルンにて。しかしこの時も物語の筋が問題となりたった1回だけの公演に終わる。

余談だが、この時に上演中止を命じた当時のケルン市長は後に西ドイツ初代首相となるコンラート・アデナウアーだった。舞台での上演が困難であることを理解したバルトークは、演奏会用組曲を作り音楽が無言劇と一緒にお蔵入りとなることを防ぐ。音楽のみでは間延びしそうな箇所を所々カットし、舞台版は静かに終わるが演奏会では派手に盛り上がって終わった方が効果的なため、クライマックスの盛り上がった箇所に新たに終結部を加えた演奏会用組曲を作成する。この演奏会用組曲は1928年に初演された。今回のバージョンはこの組曲版とも微妙に異なっているのだが、それについては金子氏の解説を参照されたい。

パントマイムの物語

舞台は都会のある片隅。三人の男達と一人の少女がいる。金のない彼らは少女を囮として窓際に立たせ、寄って来た男から金をせしめようとする。抵抗する少女だが結局は男達の言いなりとなって窓際に立つ。少女を見て早速、初老の男がやってくる。お金を持ってるかと聞く少女に男は「金なんてどうでも良い。大事なのは愛だ!」隠れていた三人の男が現れ、少女に言い寄る初老の男をつまみ出す。再び窓際に立つ少女。次のターゲットは青年。お金も無く、少女を前に緊張した面持ちの青年をしかし少女は好感を持ち、緊張を解くために一緒に踊り始める。二人の踊りは熱を帯び始めるが、ここでまた三人の男達が登場。金を持っていない青年を追い払う。「ちゃんと金持ちを捕まえろ!」三人目のターゲットはどうやら中国の役人のようだ。意思疎通が出来ぬまま、少女は当惑しながらも誘惑の踊りを踊り始める。踊り終わった少女は役人の上に崩れ落ちる。役人は少女を抱擁し身体を震わせるが、少女は気味悪さを感じ役人から離れる。それを追う役人。少女と役人との追いかけっこが始まる。組曲版はここで終結。追いかけっこの末、三人の男達が現れ役人を捕まえる。金目のものをはぎ取り、枕に顔を押し当て窒息死させようとする。動かなくなった役人を見て仕留めたかと思ったが、役人はまだ死んでいなかった。少女を見つめる役人。三人の男達は役人を刃物で刺す。しかし役人は往生せずそればかりか少女に飛びつこうとする。三人の男達は今度こそは、と役人を部屋の明かりのフックに吊るす。断末魔に苦しむ役人の身体が緑色に光り始める。恐怖におののく少女と三人の男達。しかし少女はここである決心をする。三人の男達に役人をフックから下ろさせる。少女に飛びつく役人だが少女はそれを受け止め、二人は抱き合う。思いの満たされた役人が死に、幕。

この舞台はいったいどこなのか、中国の不思議な役人とは誰のことなのか。時代からすると中国最後の王朝である清朝、冒頭に示された喧噪の様子からすると舞台はヨーロッパのどこかの大都会のようである。では清朝の役人がヨーロッパに来た時の出来事なのか?そういうわけではないだろう。中国の役人とは意思の通じぬ者のメタファーで、その意思の通じぬ者と最後には極めて歪な過程を経てであるが、思いが一瞬でも通い合うに至るというのが、この人形劇のポイントであろう。

バルトークはどこか異者であり続けたところのある人であった。作曲家の中での民俗音楽学者として、晩年はアメリカ合衆国に亡命するが、新世界の中の旧世界ヨーロッパの人間として。ひょっとしてバルトークは、孤独な役人の中に自分の姿を見ていたのかもしれない。

(中田麗奈)

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