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プロコフィエフ (1891~1953) バレエ《ロメオとジュリエット》より3つの組曲を中心にストーリー順に抜粋

prokofiev-thumbシェイクスピアの戯曲から

ロシア革命を避けロシア国外を転々としていたプロコフィエフだったが、1930年代半ばに帰国。これ以降、プロコフィエフはソヴィエト連邦の代表的な作曲家として活躍する。ロシア国外にいた時代から、プロコフィエフはバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のディアギレフとの共同作業などによってバレエなどの舞台作品を手がけていたが、それらの経験がソ連帰還後に大きく生きる形となった。

 

 

シェイクスピア(1564~1616)の有名な戯曲『ロメオとジュリエット』(1595頃)をバレエとしたものにプロコフィエフが音楽をつける。このバレエ全曲版は1935年に完成したが、バレエそのものの都合で上演がなかなか行われなかった。そのため、プロコフィエフはバレエ全曲版から数曲を抜粋して作曲し直し、演奏会用の演目とした。第一組曲の初演は1936年、第二組曲は1937年。その間にバレエ全曲版の初演が1938年に行われるが、それはチェコスロバキアのブルノにおいてであった。そのブルノ公演が大成功を収めたことにより、ようやくソ連国内でも上演されることになった。ソ連国内初演は今日よりちょうど64年前、1940年1月11日、当時のレニングラード、キーロフ劇場(現マリンスキー劇場)にて。以後、この作品はバレエのスタンダード・レパートリーとして定着し、プロコフィエフの音楽もまた、プロコフィエフの代表作としての地位を占めるようになった。

プロコフィエフはこの作品によっぽど自信があったのだろうか、バレエ公演が行われないとなるとコンサート用の組曲版を相次いで発表したが、その音楽を耳にすると、それも納得の出来栄えである。

バレエ用の作品のため一曲一曲が短く、音楽のキャラクターが目まぐるしく移り変わり飽きさせない。また、その音楽そのものも、プロコフィエフを特徴づけると言っていい鋼鉄のモダニズムと、それと相半するリリカルで美しい旋律や響きが一つの作品の中に違和感無く収まっている。また誰もが知っている悲劇的な物語も音楽に取ってプラスとなった。可憐な恋人たちが囁き合うみずみずしい愛の歌は、圧倒的に悲劇的なものによって容赦無く断ち切られる。こういった悲劇的なものと可憐な恋人たちの情景というのが、プロコフィエフの音楽の個性であるモダニズムと叙情性とに、奇跡的なまでに親和性の高い結合をみせ、この《ロメオとジュリエット》となった。

プロコフィエフは他にも《シンデレラ》(1944)などバレエ作品に傑作を残しているが、《シンデレラ》はストーリーが童話で悲劇的な要素が少ないため、音楽としてのドラマ性は《ロメオとジュリエット》に一歩譲る。世界中に広く知られた名作を題材に縦横無尽に自らの才能を発揮した《ロメオとジュリエット》は、プロコフィエフを代表する傑作となったのである。

バレエ版と組曲版

1940年になって、プロコフィエフはもう一つ組曲版を作曲した。この第三組曲と合わせて、全部で三つの組曲版が存在する。それぞれの組曲版はバレエ(戯曲)のストーリーとは無関係に順番を変えられ、オーケストレーションもバレエ版と組曲版はかなりの違いをみせる。プロコフィエフが語ったところによると、全曲版はバレエ規模に合わせるため編成を巨大にしなくてはならなかったという。その意味では、組曲版が作曲者の意図に近いことになろう。しかし、組曲版をそのまま演奏すると戯曲のストーリーが紡げないため、演奏会やCDなどの録音では組曲版とバレエ版から選択し、ストーリーを追える順序に編み直して演奏することが多い。

無論、バレエ版もプロコフィエフ独特の魅力に満ち溢れた傑作であり、組曲版とバレエ版、どちらをどのように選択するかは好みであると言ってよいだろう。本日は本公演の指揮者による抜粋となる。

(中田麗奈)

タグ: プロコフィエフ

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