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ヴィスコンティとマーラー

そもそも、ヴィスコンティはどういう理由があって交響曲第5番第4楽章をあの映画に使用したのだろうか。そこには、何か秘められた意図があったのだろうか。これは公開当時から議論されていたことのようで、ヴィスコンティ自身も、インタビューでその意図を問われている。ヴィスコンティの答えによると、マーラーの音楽を使用することは撮影前から決めていたが、具体的にどの曲のどの部分を使うかは決めていなかったという。ヴィスコンティはその音楽の意味と背景を調べあげ、何曲か候補を準備し、撮影した映像とそれらの音楽を重ね合わせてみる。その結果、最も映像に合致したとヴィスコンティが感じたのは、交響曲第5番の第4楽章だった。ヴィスコンティによると、「イメージ、動き、調子、内的リズムと一致していて、それらはあらかじめ用意されてでもあったかのように、完全にぴったりと合うことがすぐにはっきりしたんです。」それは、ヴィスコンティの芸術家としての感性であった。交響曲第5番第4楽章の意味や作曲の背景といったものと、映画『ベニスに死す』のテーマとは、直接的には関連は無い。その二つを結びつけたのは、ヴィスコンティの感性のみであり、論理的な帰結の故にではない。そのヴィスコンティの芸術家的な感性が勝利をおさめたことは映画を見れば分かることであるが、ではヴィスコンティが交響曲第3番の第4楽章をこの映画に使ったのには、どのような理由があったのだろうか。

映画『ベニスに死す』で交響曲第3番第4楽章が使われるのは、次の場面においてである。一旦ヴェネツィアから去った主人公アッシェンバンハであるが、旅行会社の手違いにより帰還の切符が手配できず、ヴェネツィアに戻ることになる。悪態をつきながらも、心は喜びに満ち溢れたアッシェンバンハ。この場面に使われているのは、交響曲第5番第4楽章である。ちなみに、アッシェンバンハはこの時、ペストで死に瀕した男の姿を目撃する。この映画で初めて直接的に登場する死の姿。そしてそこに流れるのは、もちろんマーラーのあの美しい音楽。アッシェンバンハはヴェネツィアのホテルに戻り、美少年タッジオの姿を確認する。そこで場面は回想に入り、アッシェンバンハと家族との幸せな一時へと映像は移るのだが、音楽は先ほどから5番の4楽章が流れたままだ。そして、幸せな雰囲気のまま、回想場面は終了、5番4楽章もここでフェードアウト。次に場面は海岸で遊ぶタッジオと、それを愛おしむ母親の情景。それを満足そうに眺めるアッシェンバンハ。そこに厳かに流れるのが、交響曲第3番第4楽章の冒頭、低弦による旋律とアルトによる深い歌声であった。場面が変わってもそのまま第4楽章は暫く流れ続ける。タッジオの美しさを間近にし、激しく動揺するアッシェンバンハ。この場面が終わるまで、交響曲第3番第4楽章の音楽が流れ続ける。

 

ヴィスコンティは、この場面について何と説明したか。「いずれにしても、交響曲第3番の第4楽章の選択は、次のように歌われている、ニーチェの非常に美しい詩句によって決定されたんです。」歌詞についてはプログラムに別途掲載されているのでそちらをご覧頂ければと思うが、「深い夢から私はいま目覚めた」という一節がある。この精神を語らせるために、ヴィスコンティはこの音楽を映画に使用したのだった。官能の美の世界に歩みを踏み入れるアッシェンバンハの象徴として。

映画『ベニスに死す』とマーラーとの関わりには、少なくない批判がヴィスコンティに寄せられている。まずは、交響曲第5番第4楽章のその使用法。全編に渡って流され続けるその使い方に、先のインタビューアーはヴィスコンティにはっきりと「芸がない」と伝えている。意味の無さ、もそうだ。音楽の意味と場面の意味が合致している場合もあるが、そうでない場合も多い。それらに対するヴィスコンティの反論は先に書いた通りだが、日本でも、指揮者の山田一雄が批判というか怒りを込めた文章を書いている(これは氏の『一音百態』というエッセイ集に収められているので、興味のある方はご覧になられると)。

ヴィスコンティはマーラーの音楽を愛し、自らの映画にマーラーの音楽を使った。ヴィスコンティはそれにとどまらず、マーラーの音楽のみならずマーラーその人をも、自らの芸術作品のモチーフとして縦横無尽に使用した(映画『ベニスに死す』は音楽だけでなく、作品のテーマ自体がマーラーと深く結びついているし、ヴィスコンティの他の作品でも、マーラーと深い関わりのある作品は少なくない)。ただ、その使い方は、ヴィスコンティの発言にもはっきり現れているように、ヴィスコンティの美学に沿ったものであった。ヴィスコンティはマーラーの実像を描くことはしなかった。そんなことは考えたことも無かったであろう。ヴィスコンティが描こうとしたのは、自らの美学に沿った世界観であった。それを映像化するために、ヴィスコンティはマーラーを利用した。マーラーの音楽のみならず、その人の存在そのものまでも。ヴィスコンティはマーラーを利用し尽くしたのである。

映画『ベニスに死す』で使われている音楽で、私が今一番印象に残っている音楽は、マーラーのそれではない。ムソルグスキーの音楽である。あの映画のどこにムソルグスキーの音楽が、と思うかもしれない。映画の最終場面、アッシェンバンハが死を迎えようとする浜辺の場面。もはや人気は少なくなり、閑散としている。そこで劇中の登場人物がロシア語で歌を歌うのである。伴奏もない、映画には字幕も無い。その音楽を知るかロシア語を解する者以外には、意味をなさぬ言葉。しかし、低い声で、どこか陰鬱に歌われるその歌は、映画の最終場面の雰囲気に何故か合致している。これも、ヴィスコンティの当初の構想には全く存在しないものであった。いざ撮影という時、ヴィスコンティは役者の一人が元宮廷歌手であったことを思い出す。ヴィスコンティは彼女に何かロシアものの歌を歌うよう頼む。少し考えた後、彼女が歌ったのはムソルグスキー作曲《子守唄》(1865)であった。ヴィスコンティは驚くが、しかしその音楽が、今撮影している映画の最終場面の精神に合致していると感じ取り、それを採用したのだった。その歌詞は、ヴィスコンティも恐らくはちゃんと理解してはいなかっただろう。ヴィスコンティはそれを必要としなかったからである。その歌詞は、大体次のようなもの。「眠れ、目を閉じて農夫の子よ。この苦労では飢え死にだ。牢屋、旦那の笞。やけつく畑で働いても慈悲は無い。坊やの夢はお星が守る。眠れ・・・」

映画『ベニスに死す』は、マーラー側の視点から見た場合、決して受け入れることが出来ない部分もあるだろうし、マーラーの理解に益となる作品でも無い。異なる分野の、共に偉大な二人の芸術家が邂逅を果たした作品として、ヴィスコンティの『ベニスに死す』は受け入れられるべき作品であると思う。マーラーに匹敵するぐらいの偉大な芸術家が作り上げた、一つの映画作品として。

ヴィスコンティの監督した映画で、『ベニスに死す』の前作となる『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)。映画『ベニスに死す』よりも、この映画を好むという人も決して少なくはない(実は筆者もそうである)。この作品において、当初、ヴィスコンティは音楽にマーラーを使用することを構想していたという。結局、この構想はプロデューサー側の事情で実現出来なかったのだが、ここで私はふと思うのだ。この構想が実現したらどうなっていただろうか。ヴィスコンティは、マーラーのどの曲のどの部分を、あの映画のどの場面に重ね合わせただろうか。それは恐ろしいまでの美しさと禍々しさ!マーラーの音楽による『地獄に堕ちた勇者ども』。それを想像することは、見果てぬ夢のようでもある。しかし、それが実現しなかったことは、少なくともマーラーの芸術にとっては幸福なことであったかもしれないと思うのも、また事実である。

(中田麗奈 - マーラー「交響曲第3番」に寄せて)

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