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バルトーク 《管弦楽のための協奏曲》 の楽曲解説

bartok 1940 120x7840年に米国に亡命し、ニューヨークに居をかまえたバルトークの困窮を救うべく、同郷の指揮者ライナーやヴァイオリニストのシゲティが資金援助の道を探り、43年8月、ボストン響の指揮者だったクーセヴィツキーが新作を委嘱。亡命以後、作曲から遠ざかっていたバルトークは、彼としては久しぶりとなる大管弦楽のための大作を10月までの2ヶ月足らずの間に書き上げた。

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ドヴォルザーク 交響曲第8番の楽曲解説

vysoka 120x90ブラームスの〈2番〉やマーラーの〈3番〉のように、作曲家が大自然の情景から新たな刺激を受け、それが明朗な作品として実を結ぶ例がある。ヨーロッパでは6~8月の長い夏休みを風光明媚な避暑地で過ごすため、それが作曲家に新たなインスピレーションを与えるのだ。ドヴォルザークの場合はこの〈8番〉がそれに該る。かねてから避暑地として気に入っていたボヘミアのヴィソカーに別荘を建てたドヴォルザークは、1889年(48歳)の夏から秋にかけて作曲し11月8日にプラハで完成。翌90年2月2日、自らの指揮による同地での初演も大成功を収めた。

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バルトーク (1881~1945) 《管弦楽のための協奏曲》

民俗音楽に出会うまでのバルトーク

bartok 120x150バルトークは1881年、オーストリア=ハンガリー二重帝国を構成するハンガリー王国の地方都市ナジュセントミクローシュに生まれた。このナジュセントミクローシュは現在ではルーマニア領となりシンミコラウマーレという名前となっている。と簡単に述べたが、この生地を巡る一節だけでも、バルトークを取り巻く民族意識というものが(本人がどう意識するかに関わらず)、非常に複雑な要素で構成されているということが見て取れるだろう。

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レブエルタス (1899~1940) 《センセマヤ》

メキシコ革命前後のメキシコのクラシック音楽界

revueltas 120x13616世紀初頭のコルテスによるアステカ帝国の征服後、メキシコはスペイン人が支配する土地となったが19世紀になって独立を果たす。キリスト教布教の為に沢山の宣教師達がメキシコに赴いたこともあり、ヨーロッパのクラシック音楽もメキシコで独自の発展を遂げる。だがそこに「メキシコらしさ」というものが現れるには20世紀迄待たねばならなかった。1910年、当時のメキシコを支配していた独裁者ディアスに対しての抗議行動が巻き起こる。メキシコ革命の始まりであった。激しい内戦も行われたが1920年には一応収束し、そして新しい社会と国家の建設に向けて動き出していく。そこで必要とされたのは、メキシコ人としての民族意識であった。

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ショスタコーヴィチ (1906~1975) バレエ組曲 《ボルト》 の楽曲解説

russia 2000 stamp 120x85別稿を先にお読み頂きたいが、バレエには台本が拙劣な作品は非常に多い。1931年4月8日にレニングラードで初演されたこの〈ボルト〉も、そうした典型。「バレエ音楽百科」小倉重夫著(音楽之友社)の紹介が簡潔で解り易いので引用させて頂く。

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サン=サーンス (1835~1921) 交響曲第3番 《オルガン付き》

トロカデロ宮殿のオルガン

saint saens 120x171名前の通りオルガン付きの交響曲、である。ここでいうオルガンとはパイプオルガンのこと。建物と一体化した極めて大規模な楽器で、ヨーロッパでは教会に備え付けられることが多く、教会音楽で頻繁に使われてきた楽器である。であれば、この《オルガン付き》も教会での演奏が念頭に置かれたものかというと、そうでもない。コンサート・ホールにオルガンが備え付けられるようになる流れの中でこの交響曲は作曲されている。

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レブエルタス 《センセマヤ》 の楽曲解説

tree 120x160先ずは『蛇を殺すための歌』というタイトルそのままの標題音楽として聴くのが正解。舞台は、子牛を一呑みにしてしまうアナコンダやニシキヘビのような大蛇、もしくはコブラやガラガラ蛇のような毒蛇が棲息している熱帯のジャングル。裸同然の原住民達が集まって炎を囲み、祈祷師の呪術的な言葉を全員で繰り返しながら奇声をあげ、石斧を手に『蛇狩り』に出かけて行く情景が目に浮かぶ。

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ドヴォルザーク (1841~1904) 交響曲第8番 ト長調 作品88

チェコ音楽における民族性とは?

dvorak 120x14919世紀後半のボヘミア地方において、チェコ人としての民族意識をいちはやく取り入れて作曲活動をしたのがベドジルハ・スメタナ(1824~1884)。当時のボヘミア地方はオーストリアのハプスブルク家に支配されており、チェコ語も公用語としての地位を与えられていなかった時代である。《我が祖国》(1874~1879)はスメタナの民族意識が最も高い次元で結実した傑作であるが、スメタナの創作の中心は交響詩と歌劇であった。この時代、交響詩はリストが創始したばかりの極めて新しいジャンルであり、文学的な標題を持つために音楽以外の意味付けが比較的容易であった。それに比べると、基本的に純音楽としてあった交響曲というジャンルに、音楽以外の何かを込めることは非常に難しい。ドヴォルザークは1841年生まれ、スメタナよりも一世代後の作曲家であったが、ドヴォルザークが創作の中心に選んだのは交響曲であった。

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サン=サーンス (1835~1921) 交響曲第3番 《オルガン付き》 の楽曲解説

昨夏、〈復活〉の前に、死の象徴としてのグレゴリオ聖歌「ディエス・イレ=怒りの日」①aのサンプル演奏をした際、意外に気付かれていないのがシューベルトの〈未完成〉(1822年作曲→65年ウィーンで初演)の第1楽章①bだと判明した。サン=サーンスが、この〈3番〉(1880~86年→86年ロンドンで初演)で、それを16分音符・1拍分ずらして①c主題化した際、〈未完成〉を全く意識することなく『偶然、似てしまった』と考えるのは無理があろう。

 

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ベルリオーズ(1803~1869) 序曲 《海賊》 の楽曲解説

berlioz 120x154今の時代、この「海賊」を素朴に標題に結びつけて鑑賞しようとするなら、一番近いのは映画「カリブの海賊」ではないだろうか。そうした快男児的な海賊のルーツの一人が、19世紀初期にメキシコ湾で活動した実在の海賊ジャン・ラフィット(仏・1782- 1826年?)。ハイチ革命の最中、フランス人に対する迫害と暴力から逃れるために海賊になったとされる。

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オストロフスキーとレスコフ、そしてショスタコーヴィチ  ~ショスタコーヴィチを巡る冒険~

leskov 120x170ショスタコーヴィチにとって《ボルト》は依頼による気の乗らない仕事で書いた作品で、オペラ《ムツェンスク群のマクベス夫人》がこの時期のショスタコーヴィチにとって、一番書きたくて最も力を注いだ作品であることは別稿の通り。ここではこの《マクベス夫人》について、ちょっと述べてみることとしよう。

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