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第63回演奏会 (第33回冬季演奏会)

日程:2019年1月12日(土) 18時開演(17:15開場)
会場:習志野文化ホール
指揮:金子 建志
演目:

  • チャイコフスキー/大序曲「1812年」
  • ショスタコーヴィチ/交響曲第7番「レニングラード」

1973年1月 – 1942年8月 – 2019年1月

1973年1月、アメリカ合衆国、ワシントン。泥沼のベトナム戦争は終結に向けて動いていた。そんな中、前年の選挙で圧勝し、二期目の任期に入ったニクソン大統領の就任記念コンサートが開催された。指揮はユージン・オーマンディ、この演奏会のラストを飾るはチャイコフスキーの大序曲《1812年》。これはニクソン大統領の強い希望だったという。ベトナム戦争が終わろうとするこの時に、ナポレオンのロシア侵攻の撃退を記念して作曲された《1812年》を希望したニクソンは何を望んでいたのだろうか。この演奏会とちょうど同じ時刻に、レナード・バーンスタインはワシントンの別の場所でハイドンの《戦時のミサ》を指揮していた。(手塚治虫が漫画に書いたのでご存知の方も多いだろう。)

時は遡り1942年8月、音楽を学んでいた青年バーンスタインは、ショスタコーヴィチの《レニングラード》交響曲のアメリカ合衆国における演奏会初演に大太鼓奏者として参加する。指揮はロシア出身の大指揮者、セルゲイ・クーセヴィツキー。吹奏楽の世界で名を馳せることとなるフレデリック・フェネルもこの演奏会に打楽器奏者として参加しており、バーンスタインとフェネルは、クーセヴィツキーの「もっと大きな音で!」という要求に応えようと顔に青筋を立てて必死に演奏したという。《レニングラード》交響曲はショスタコーヴィチの代表作の一つとなり、バーンスタインも後にこの曲を自身で指揮をしている。

そして、金子建志と千葉フィルが《1812年》と《レニングラード》を演奏する。両曲とも千葉フィルでは再演となるが、特にショスタコーヴィチはソ連崩壊後、ソ連時代では思いもよらなかった様々な情報が届くようになり、演奏の幅も遥かに増えた。満を持しての再演となる。どのような演奏となるか興味は尽きない。2019年1月、習志野がロシアの響きで満たされる。

バーンスタイン (1918~1990) 〈キャンディード〉序曲

1959年8月、モスクワ

bernstein 1955 120pxバーンスタインはモスクワにいた。当時、常任指揮者を務めていたニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の世界ツアーでソビエト連邦を訪れた為である。この時のニューヨーク・フィルのソ連滞在は3週間、全18回にもおよび演奏会が企画されていた。当時、アメリカ合衆国とソビエト連邦はまさに冷戦の真っただ中にあり、芸術と言えども、当然、そういった政治の動向と無縁ではいられなかった。このニューヨーク・フィルのツアーも平和友好をうたった文化使節だったにも関わらず、両国の国威発揚の場として使われていた。

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R.シュトラウス (1864~1949) アルプス交響曲

頂上に立つリヒャルト・シュトラウス

r strauss 120pxレナード・バーンスタインが慎ましくもささやかな幸せを享受しつつもアメリカ合衆国の最下層に位置する両親の元に生を受けたその頃、リヒャルト・シュトラウスはヨーロッパで名声の頂点にあった。日本の西洋音楽黎明期を締めくくることとなる山田耕筰は、第一次世界大戦が始まる前の時期のドイツに留学し、ベルリンで切り詰めた生活を送っていた。山田は当時、絶頂期にあったリヒャルト・シュトラウスの音楽に強い衝撃を受け、肖像画を部屋に飾るまでとなる。しかし、そのスコアを研究しようにも、スコアを入手することさえ留学先で困窮を極める山田にとっては難しいもので、まさにリヒャルト・シュトラウスは憧れの人、遥か山の上の存在だった。

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R.シュトラウス アルプス交響曲の楽曲解説

1911~15年2月8日作曲。15年10月28日、シュトラウス指揮のドレスデン王立歌劇場管弦楽団によりベルリンで初演。初演がベルリンになった理由は以下のとおりだ。

「ベルリンのフィルハーモニー大ホールでの演奏のために、私は116人の奏者を必要と しています。つまり木管が倍の人数、即ちあと8人とハープ4台(スコア上は2パート)です。この8人とハープ奏者2名は、私自身がベルリンで見つけることができるでしょう。しかし必要な弦のエキストラは、ドレスデンから連れていきたいのです。つまりドレスデンで総勢107名の奏者を集めて欲しいのです。
オルガン奏者は私がベルリンで手配します。何故なら、オルガン奏者はフィルハーモニーのオルガンについて熟知してなければならないからです。オルガンはとても重要です。例えば雷の場面では、大きな、そして完全なコンサート・オルガンが必要不可欠です。」

(15年6月19日の手紙)

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マスネ (1842~1912) 組曲第7番 『アルザスの風景』

嵐の中の出発

massenet 120pxマスネは自伝において1848年2月20日のことを「運命的な日」として「忘れることが出来ない」と記している。ジュール・マスネは1842年5月12日にフランス南東部のロワール県の中心都市サン・テティエンヌで生まれた。母親がピアノ教師をしており、その母親の手引きで初めてマスネがピアノをさわったのが、冒頭の日のこと。ヨーロッパではナポレオンの没落後に確立されたウィーン体制がちょうど終わりを告げようとしていた頃で、フランスでは2月24日に国王ルイ・フィリップが退位し七月王政が終焉することとなる。そんな嵐の中、少年マスネは初めてピアノに触れたのだった。程なくマスネは抜群の音楽的才能を示すようになり、11歳でパリ音楽院に入学する。オペラで成功していたアンブロワーズ・トマに作曲を師事、21歳でフランス作曲界の登竜門となるローマ賞を受賞。審査員の一人だったベルリオーズが特に熱心にマスネを推したという。同じくローマ賞の審査に加わっていたフランソワ・オーベールはベルリオーズに次のように語ったらしい。「この小僧は、経験を積みすぎないように気をつければ、かなりのところまでゆくだろう」と。オペラの第一作目も好評だった。オーベールの予言はともかく、音楽家として順風満帆な出発であった。

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バーンスタイン 〈キャンディード〉序曲の楽曲解説

bernstein 1950 120pxドイツのヴェストファーレン生まれの青年キャンディードと、相思相愛の恋人クネゴンデは、一度は結ばれそうになりながら、戦争や略奪など様々な禍に遭遇。世界中の様々な土地で一癖も二癖もある人物と出合い、その都度、それまでの全てを御破算にするような暗転(殺人、宗教的略奪、性的暴力、詐欺など)に巻き込まれていくという、奇想天外なファンタジー。

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マスネ 組曲『アルザスの風景』の楽曲解説

Ⅰ・日曜の朝 アレグレット・モデラート 二長調 4/4拍子

村の静かな朝の情景。クラリネットとフルートによる主題①は、いかにも長閑な農村地帯のそれだ。オーボエによる②は、①の3連符を受け継いでいる。クラリネットによる新たな主題③aを契機に、曲は休日らしい『市の賑わい』に発展し、① ②それぞれの舞曲的律動感がトゥッティで強調される。

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練習予定


2018/10/21 17:30 - 21:00 Tutti4 @ 幕張勤労市民プラザ

2018/11/04 17:30 - 21:00 Tutti5 @ 幕張勤労市民プラザ

2018/11/18 17:00 - 21:00 Tutti6 @ 実籾コミュニティーホール

2018/11/25 17:30 - 21:00 Tutti7 @ 幕張勤労市民プラザ

2018/12/09 17:30 - 21:00 Tutti8 @ 幕張勤労市民プラザ