千葉フィル史 第5話

これからは、余談になります。当時私(Hr科 石垣)は「ケンメリ」の6のスカイラインに乗っておりました。(この間「ケンメリ」の話をしたら「なにそれ」といわれてしまいましたが、 このホームページの読者ならわかりますよね?) 

当時すでに一年車検(これもなつかしいですね)に突入していた 中古車でしたが、これがとにかく良く走りました。L20というエンジンは5速で時速15Kmからノッキングなく加速する という粘り強さをもっていました。

しかしよる年なみには勝てず、なんと合宿の初日、千葉から河口湖へ向かう途中、 都内の渋滞の中でエアコンが壊れてしまったのです。おまけに、ついてるカセットデッキはエイトトラック!!。 当時すでに過去の遺物となっていたこのデッキは当然使用できず、乗員は皆、ラジオを聞いて気をまぎらわせていました。

もちろん合宿の帰路にもこの状況が変わるわけもなく、高校野球をNHKで聞き、汗だくになりながら都内に入った われわれの耳に入った臨時ニュースがありました。「ジャンボ機が行方不明になっています」と。そうです。 8/12というのは、あの日だったのです。(ですから日付まで覚えているのです)「おいおい、そんなもんが行方不明になるのかよ」 「落ちたのかな」などと話していたわれわれは、その後の新大橋通り沿いのスカイラークで夕食をとったのです。 一時間半ほどして車に戻ったわれわれが耳にしたニュースは、相変わらず「以前ジャンボ機の行方はわかっておりません」とのこと。 皆で顔を見合わせてしまった覚えがあります。その後ジャンボ機の行方はご承知のとおりです。

ともあれ、一大イベントが終わって、さあ、あとは演奏会だね、ということで秋から本格的な練習が始まりました。

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