「今日の演奏会は千葉フィルらしかった」とか「今回の選曲はあまり千葉フィルらしくないよな」とか。普段このオーケストラで活動する中で、「千葉フィルらしい」という言葉を良く聞きます。私自身も頻繁に使いますし、千葉フィルの人でもそうでない人でも、それで意味するところは概ね通じているような気がします。
しかし、この「千葉フィルらしさ」って一体何なのでしょう?金子さんがこうと言ったわけでは無いですし、「千葉フィルらしさとは、こうだ!」と団で定めたわけでももちろんありません。
そこで、今回は過去の演奏曲目から、この「千葉フィルらしさ」とは何なのか?を考えてみることとしました。「千葉フィルらしさ」。このよく使われるくせに漠然とした言葉の正体は、一体如何なるものなのでしょう。
千葉フィルはチャイコフスキーがお好き
演奏曲数が最も多い作曲家はチャイコフスキーの9曲。しかも2回取り上げている曲がその中で3曲もあります。つまり演奏回数で考えると12回。断トツの数字です。それだけではありません。第1回で取り上げた3曲の内2曲がチャイコフスキー。その一つは《デンマーク国歌の主題による祝典序曲》という、アマチュアはもちろんプロでも滅多に取り上げ無いどころか、CDも探すのに一苦労という曲。どうやら千葉フィルはチャイコフスキーがお好きなようです。
しかし千葉フィルはチャイコフスキーにこだわった選曲をしているか?というとどうもそうでは無さそうです。番号付きの6曲の交響曲の中で、取り上げたのはいわゆる後期の3大交響曲のみ。他の曲も《デンマーク〜》以外は、頻繁に良く聞く曲ばかりです。
千葉フィルがチャイコフスキーが好き、というのはその通りだと思いますが、どうやら、それが即「千葉フィルらしさ」につながっているかというと、どうもそうではなさそうです。
アマオケの定番、ブラームス
次の人気者はブラームス。8曲、複数取り上げた曲がないので演奏回数も8回です。特筆すべきは交響曲チクルスの完成でしょうか。全4曲はもちろんのこと、「ブラームスの交響曲第5番」と呼ぶ人もあるシェーンベルク編曲によるピアノ四重奏曲第1番が演奏されています。
ではブラームスはもう一つの千葉フィルの顔なのか?というと、さてそれはどうか。というのも交響曲チクルスが完成したとはいっても、ブラームスの交響曲は全部で4曲しか無いのです。また注目すべきは複数回取り上げた曲がないこと。20年の歴史の中で複数取り上げた曲がないというのは、むしろ逆にあんまりご執心ではない?という気がしてしまいます。それに言ってしまえばブラームスはアマオケの定番。ブラームスの曲を演奏するアマオケは日本に数知れず。どうやら、ブラームスで「千葉フィルらしさ」を説明するのはちょっと無理があるようです。
隠れた人気者?ショスタコーヴィチ
次に取り上げた曲が5曲という作曲家が二人います。その一人がショスタコーヴィチ。演奏したのはどの曲も一回だけですが、注目すべきは交響曲第4番を演奏していることでしょう。この曲は非常な難曲・大曲。日本のアマオケでこの曲が演奏されたのは恐らく3回だけなのでは?(新響、ダスビ、千葉フィル。他にもご存じの方がいらっしゃいましたら是非ご一報下さい。)他の曲では交響曲第7番《レニングラード》がまた大曲、難曲。むむ?「千葉フィルらしさ」を解き明かすキーワードが一つ見つかったかもしれません。
やはり真打ちはこの人でしょう、マーラー
もう一人、取り上げた曲が5曲という作曲家がいます。その人こそ、マーラー。その中で交響曲第5番は2回取り上げているので、演奏回数は6回。また次回の10番を勘定に入れると6曲・7回となって、かなりの数字となります。
マーラーの場合、もう一つ特徴があります。それは取り上げた曲がすべて演奏会の後半・メインとして演奏されていること。マーラーはその曲の多くが演奏時間が1時間はかかるというボリューム十分の作曲家。また、必要とされる楽器の種類も数も多く、それらは演奏至難な曲ばかり。千葉フィルで取り上げた曲は、どれも文句なしの大曲・難曲です。
そして忘れてはならないのが、指揮をする金子さんがマーラーに対して非常なこだわりを見せていること。それはマーラーに関する本を3冊も出している程です。実際、「金子さんがマーラーを振るから聴きに来た」という(マニアな)お客さんも数多くいらっしゃるようです。
まだあります。10回の記念演奏会の際に取り上げているのが、交響曲第9番。技術的にも精神的にもマーラーの中で難曲中の難曲であり、累世の名曲。そして次回の20周年記念演奏会で取りあげるのが、マーラーの交響曲第10番のクックによる5楽章補筆完成版。「千葉フィルらしさ」を解き明かすキーワードがもう一つ見つかったようです。
大曲・難曲を数こなし?
マーラーと並ぶ大曲の作曲家といえばブルックナーですが、意外?取りあげたのは交響曲第8番の1曲1回のみです。ただ、この曲を取りあげた際の演奏会は、この前に短い曲を2曲演奏して、計3曲の演奏会となっています。これはちょっと要注目かも。
難曲といえば、これを忘れるわけにはいきません《春の祭典》。千葉フィルで取りあげた曲の中で、一番演奏が難しかったのは、この曲かもしれません。また、《火の鳥》《春の祭典》と今回の《ペトルーシュカ》で、ストラヴィンスキーの「バレエ三部作」チクルスが完成することとなります。《ペトルーシュカ》は楽器編成の大きな版と小さな版の2種類があって、通常は小さな版の方が頻繁に演奏されるのですが、今回はあえて編成の大きな版で演奏します。これも「千葉フィルらしさ」かもしれません。
やらない曲から見えるもの
先程「マーラー」をキーワードの一つに挙げましたが、マーラーの曲の中で演奏して無い曲に一つの共通点があります。それは声楽が伴っていることです。そう、マーラーに限らず、千葉フィルはもっぱら純器楽作品を演奏してきているのです。声楽を必要とする曲は《惑星》のみ。さらには、交響曲と並び現在の演奏会構成のもう一つの花形である協奏曲も、第1回の演奏会で取りあげただけ。このキーワードは何になるのでしょうか。合わせものが苦手?他と一緒にやるのがお嫌い?どちらにしても、少し嫌かも・・・
やらない曲の共通点、まだあります。古典派の音楽は皆無に等しい。ベートーヴェンの交響曲第7番は例外といっていいかもしれません。モーツァルトは演奏回数ゼロ。演奏した曲は、圧倒的にロマン派以降、特に後期ロマン派から20世紀の中ぐらいまでの曲に集まっています。これもキーワードになりますね。「レパートリーは後期ロマンから大体100年」かな。
そして最後にもう一つ。先程ブルックナーのところで少し触れましたが、一回の演奏会のプログラミングに一貫性・テーマがあまり感じられないこと。これは団員がやりたい曲を第一に考えて選曲するためですが、これもまた「千葉フィルらしさ」の一つかもしれません。考えてみれば今回のプログラミングもそうかな?(今回は初心に戻る、という意味合いも有るのですが。)よりどりみどりの幕の内弁当、と前向きに考えることにしましょう?
これからの「千葉フィルらしさ」
幾つかキーワードは見つかったようですが、納得した方も、とうてい納得できなかった方もいらっしゃるでしょう。「千葉フィルらしさ」とは、別にあえて定義する必要はないのかもしれません。大切なことは、演奏会に来て頂いたお客様に楽しんで頂くこと、そして演奏する我々も楽しんで演奏できること、これに尽きると思います。そんな演奏をすること、これが本当の「千葉フィルらしさ」なのかもしれません。
本日の演奏会。皆様も、そして私たちも楽しむことの出来る演奏会とすることができるでしょうか。皆様には今日これからご静聴頂き、拍手でもってその結果を示して頂ければと思います。
(なかたれな - 第20回演奏会・創立20周年に寄せて)