第66回演奏会 - 2022年1月16日(日) 13:30開演 会場:習志野文化ホール・指揮:金子 建志・演目:ドヴォルザーク/謝肉祭、ヒンデミット/画家マティス、ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」

ディアギレフとロシア・バレエ団 (上)

diaghilev 1 120x14820世紀文化史に燦然と輝くディアギレフとロシア・バレエ団。この両者については既に様々な場に於いて語り尽くされている感があるが、今回と次回の千葉フィルのプログラムにロシア・バレエ団にゆかりの深い曲が取り上げられることもあって、これを機会に私もその末席に加わってみようかと思う。

セルジュ・ディアギレフ、これはフランス風の発音であってロシア風にはセルゲイ・ジャーギレフ。ロシアの新興貴族の家に1872年に生まれる。早くから芸術全般に親しみ、大学入学と同時にペテルブルクに移り住む。大学では法学を学ぶ身であったが、ここで最先端・最高の芸術を浴びたディアギレフは芸術の世界を志すことを決心する。自らの審美眼・批評力に自信を持っていたディアギレフはキュレーター・プロモーターとしての行動を開始する。まずその行動は故郷ロシアにおいて始められる。ロシアで初めての芸術評雑誌の発行、そしてロシア全土を駆け回って3000点もの作品を集めた「ロシア歴史肖像画展」。この二つを見事に成功させたディアギレフは、ヨーロッパ芸術の中心であるフランス、パリに乗り込む。1907年、ディアギレフはパリにおいて「セゾン・リュス」(ロシア・シーズン)と名付けたロシア音楽の演奏会を企画する。リムスキー=コルサコフ、ラフマニノフ、シャリアピンという蒼々たる顔ぶれが集まったこの企画は喝采で迎えられ、パリの人々に強烈な印象を与えることにディアギレフは成功する。そして1909年の企画において、ディアギレフはバレエの演目を企画する。ロシア・バレエ団の誕生であった。

最初は休暇中のロシア帝立マリンスキー劇場のダンサーやスタッフを一時雇いという形で使っていたのだが、ニジンスキーをはじめ何人かの人間が劇場をやめロシア・バレエ団の専属となった。ここに歴史上初めての民営のバレエ団が誕生する。そして、これが20世紀バレエの真の出発点となった。

ロシア・バレエ団が切り開いた20世紀バレエの特徴、それは男性ダンサーの活躍である。例えば「白鳥の湖」に代表される19世紀のバレエは、女性優位の芸術であった。それまでの有名なダンサーも主に女性であり、舞台上で男性は女性の添え物でしかなかった。それをロシア・バレエ団が、ディアギレフが変えたのである。

それはやはりニジンスキーの存在に負うところが大きい。圧倒的な身体能力(特に跳躍力)を生かすことは既存のバレエでは不可能であった。そのため、新しいバレエのスタイルが次々に誕生する。音楽もまた然り、である。《春の祭典》の野蛮性は男性の力強さがあって誕生したものと言って良いだろう。また、ディアギレフや当時やパリの著名な芸術家の多くに同性愛者が多くいたことも無視するわけにはいかない。しかし、逞しくも美しい男性の美を愛したのは同性愛者だけではなかった。ロシア・バレエ団の公演は、女性達が男性の見事な肉体美を公然と鑑賞できる数少ない場であったのである。(いや、恐らく秘密裏にもそのような場は存在しなかったのではないだろうか。)逞しい筋肉に溢れているが、見事な跳躍を見せるその肉体はマッチョな筋肉美にまとわりつく威圧感から解放されたものであった。無論、舞台には魅力的な女性たちも数多くいる。官能性はロシア・バレエ団の最も大きな魅力の一つであった。

しかし、性的なものはネガティブな批判をも起こしやすい。《牧神の午後》ではニジンスキーの性的な暗示を示す振り付けが激しい批判を呼んだ。ディアギレフもそこは慎重であり、特に自分の同性愛的なことに関しては、スキャンダルになることを恐れて世に広まることを恐れていたという。

もう一つ、ロシア・バレエ団の大きな魅力となったのはその異国趣味である。性的なものが隠れた売りであったと言うならば、表のそれは異国趣味であったと言えるだろう。次回はその異国趣味に付いて書いてみたい。

(なかたれな - 第16回サマーコンサートに寄せて)

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