第72回演奏会 - 2025年1月4日(土) 13:30開演 会場:ティアラこうとう 大ホール・指揮:金子 建志
演目:ドヴォルザーク/スケルツォ・カプリチオーソ、コダーイ/「孔雀は飛んだ」による変奏曲、ブラームス/交響曲第2番

イッポリトフ=イワーノフ (1859~1935) 組曲《コーカサスの風景》 作品10

コーカサスという場所

コーカサスとはカスピ海と黒海とに挟まれた地域一帯のことを指す。コーカサスは英語読みであり、19世紀以降この地域を版図に納めたロシアの呼び名ではカフカースとなる。イッポリトフ=イワーノフはロシア人であり、それを考えると特に英語の呼び名を使う必要もないので、曲名も《カフカースの風景》とした方が良いのかもしれないが、この曲の原題はフランス語で表記されており、フランス語でのカフカースの表記は英語と同じく ’caucasus’ である。恐らく、この曲が《コーカサスの風景》と呼ばれるのもそれが関係しているのであろうか。今回は通例に従って曲名は《コーカサスの風景》とした。

カフカースは多くの民族がひしめき合い、またアジアとヨーロッパの境界の一つでもある為、古くから文明と民族の交差路としての役割を果たした地域であった。当然、紛争も数多く、近年、国際ニュースを賑わすチェチェンやグルジアもこの地域に有る。また、交通の要衝となるカフカースは、その時々によって様々な大帝国の支配下に入った。近世以降はオスマン・トルコ帝国が強い影響力を持っていたが、オスマン朝の衰退と共にロシア帝国が支配の手を伸ばし始め、ロシア帝国は19世紀半ば過ぎにはカフカースのほぼ全域を支配下に置く。イッポリトフ=イワーノフが生まれたのは、ロシア帝国がカフカース一帯を版図に納めてからしばらくのことであった。

イッポリトフ=イワーノフという名前

今年で生誕150年となるイッポリトフ=イワーノフは1859年、ロシア帝国の首都サンクト・ペテルブルクの近郊に生まれる。幼い頃から音楽に親しみ、サンクト・ペテルブルク音楽院に入学する。そこにはリムスキー=コルサコフがいた。イッポリトフ=イワーノフはリムスキー=コルサコフを師として作曲を学ぶ。

さてこのイッポリトフ=イワーノフ、名前が他のロシア人のそれとは少々異なっているようである。このイッポリトフ=イワーノフとは本人が自ら名乗っていた名前であるが、本来の名前はミハイル・ミハイロヴィチ・イワーノフ。イッポリトフとは母方の姓である。であれば普通にイワーノフと名乗れば良いと思うのだが、そうもいかない事情があった。ミハイル・イワーノフが音楽界で活動を始めた頃、既に同姓同名、父称まで同じミハイル・ミハイロヴィチ・イワーノフという高名な音楽家が活躍していた。その為、このイワーノフとの混同を避ける為に、母方の姓を加えて名乗ることにしたのである。

カフカースとイッポリトフ=イワーノフ

この時期のロシアでは、カフカースが大きく注目されていた時期であった。ほぼ全地域を支配下に置いたロシアが政治的・軍事的・経済的な支配を強めていく反面、芸術・文学的にはカフカース的なものが幅広く取り上げられるようになる。ロシア人はそこに「本源への回帰」を感じ、自らの感じたカフカースの風景を題材にして次々と芸術作品を産み出していった。イッポリトフ=イワーノフは音楽院の在学中からこの風潮に強い影響を受け、卒業と同時にカフカースに赴く。招かれてティフリス(現グルジア共和国首都のトビリシ)の音楽院の院長を務め、その職を11年続ける。その後モスクワ音楽院の教授となりロシア革命後も音楽界の重鎮として活躍するが、1935年に死去。その弟子にはグリエールがいる。イッポリトフ=イワーノフはリムスキー=コルサコフからグリエールに続くロシア音楽の伝統の、確かな継承者と呼ぶに相応しい音楽家の一人であった。

《コーカサスの風景》について

《コーカサスの風景》はモスクワに渡った直後の1894年に作曲された。強い郷愁を感じていたのだろうか、曲調からはどこかエキゾチックな装いと共にノスタルジックな息吹が感じられる。イッポリトフ=イワーノフの感じたコーカサスの風景が描かれており、イスラムを信仰する人々も多いこの地域のイメージが、イッポリトフ=イワーノフ流に表現されている。

第一曲「峡谷にて」

大峡谷、雄大な自然の様子が描かれる。冒頭のホルンが峡谷に響く郵便馬車のラッパのこだまを表し、弦楽器による静かな小川のせせらぎが聞こえてくる。次にクラリネットによって登場する民謡風の主題はイッポリトフ=イワーノフ創作のもの。曲は盛り上がりを経て冒頭と同じくホルンのこだまで終わる。

第二曲「村にて」

異国情緒あふれる旋律。ビオラとコール・アングレによる掛け合いはどこか中東というか、イスラムの響きを感じさせる。アジア的な小太鼓の響きも聞こえてくる。

第三曲「モスクにて」

イスラム寺院、モスクでの人々の祈り。木管楽器、ホルンとティンパニだけで演奏される。敬虔な音楽。

第四曲「サルダールの行進」

サルダールとは酋長と訳されることもあるが、意味合いとしては軍司令官のようである。酋長とは今は殆ど使われない言葉であるし、その意味するところも異なってくるので、サルダールという言葉を使う方が適当であろうか。武装したカフカースの人々の行進の情景であろうか。いささか軍歌調であるが、全体的に陽気で賑やかで、「アジア的な」猥雑さに溢れている。陽気に楽しく行進していき、大きく盛り上がったところでそのまま終結を迎える。

本年が生誕150周年となるイッポリトフ=イワーノフ。教育者や指揮者としても活躍したこの人物については、その多くが知られてないといって良いだろう。作曲した作品の演奏や録音などの復興運動が待たれる音楽家の一人であるが、本日の演奏がその一端となれば幸いである。

(中田れな)

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