フランシス・プーランク(1899~1963) 演奏会用組曲 《牝鹿》

les-bisches-thumb新しき才能

世紀が変わる少し前の1899年、パリの極めて裕福な家庭に生まれたフランシス・プーランクは、ピアノを達者に弾く母の影響を強く受け、幼い頃からピアノに親しむ。8歳の頃にドビュッシーの音楽を初めて耳にし直ぐにその虜になったが、小さな手ではドビュッシーのピアノ曲は満足に弾くことができず、幼いプーランクはとても悔しがったという。成長したプーランクは本格的にピアノを学びはじめるが、その頃から作曲も手がけるようになる。そしてまた、パリに集う若く才能溢れる音楽家達とも親しく付き合うようになり、前回の演奏会でその交響曲第三番を取り上げたオネゲルらと共に、〈六人組〉と呼ばれた若き才能溢れる音楽家グループの一人として名を広く知られるようになる。

プーランクとディアギレフ、バレエ・リュス

そんなプーランクに目を付けたのが、名プロデューサー、ディアギレフ。バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を率い、ストラヴィンスキーやニジンスキーなど新しい芸術の担い手を世に送り出したディアギレフは、常に新しい才能を探していた。そんなディアギレフがプーランクの音楽に注目したのは当然のことと言える。ディアギレフから依頼を受けたプーランクは有頂天になる。なにしろ、バレエ・リュスは、ディアギレフが幼き頃に憧れをもって見つめた芸術の殿堂であり、ストラヴィンスキーの音楽にプーランクは夢中だった。そんなバレエ・リュスの舞台に自分の音楽が使われるなんて!

バレエ《牝鹿》と演奏会用組曲《牝鹿》

作曲は1923年に手がけられた。翌1924年1月、モナコ公国モンテカルロにて、バレエ《牝鹿》の初公演が行われる。パリ初演は続く5月。《牝鹿》の音楽は好評をもって迎え入れられ、プーランクは本格的な作曲家の仲間入りを果たすこととなる。《牝鹿》のバレエにストーリーらしきものは無い。舞台の上で演じられるのは、3人の若い男達と、16人の若い女性達の、他愛ない戯れである。牝鹿とは、若い女性達のことを指す。その音楽は舞台と同じく、深刻なものはまるで無く軽やかに進む。

プーランクは後年、1940年になって、バレエ用に作曲した《牝鹿》から数曲を抜粋し、さらに手直しを施して演奏会用の組曲として編み直す。本日演奏するのはこの演奏会用の組曲である。バレエの音楽の方には合唱も入るのだが、演奏会用組曲の方には合唱は無く、オーケストラのみで演奏される作品となっている。全部で5曲からなる。

第一曲 ロンド アレグロ・モルト

ポン!と音が弾ける。短い序奏。そして音楽は軽やかに走り始める。トランペット、ホルン、そして弦楽器へとメロディは受け継がれていく。明るく軽快で華やかなその音楽は、そのうちに響きを曇らせ、肩をいからせてみせるけれど、直ぐにそれはしぼみ、そしてまた、軽快な音楽が戻ってくる。最後は小太鼓も加わり、華やかに、でも短くあっという間に締め括られる。

第二曲 アダージェット

オーボエの少し憂いを帯びたメロディから始まる。少しけだるい。そのメロディは弦に受け継がれ、けだるく優しく歌われるが、そこに突然の乱入者。そして勇ましくトランペットが登場。その場面転換は唐突で、少し乱暴なくらいだ。こういった急激な場面転換はバレエが求めたものかもしれないが、しかし、プーランク自身の個性をここにハッキリと見て取ることができるだろう。深刻な顔をして見せたかと思うと、次の瞬間にはおどけた顔をしてみせる。そういった一種の諧謔性をプーランクの音楽は感じさせる。ここでもまた、音楽は色んな表情を見せながら、最後は静かにひっそりと終わる。

第三曲 ラグ・マズルカ プレスト

テンポの早い、快活な音楽。一陣の風のようにあっという間に音楽が過ぎ去って行ったかと思うと、音楽はまたもやその表情を変える。少し、騒がしい。街中の喧騒?テンポが少しゆっくりになったと思ったら、色んな音楽がゾロゾロと出て来たようだ。少し凄んでみせて、恐い顔をしてみせる。そうかと思ったら悲しそうに涙を流している。でもそれは、嘘泣き?音楽はあくまで軽快に、そして目まぐるしく様相を変えながら、最後には最初の雰囲気を一瞬だけ思い出しながら終わる。

第四曲 アンダンティーノ

清らかな装い。清楚で慎ましやかな音楽。でも、女の子たちは楽しいお喋りをやっぱり我慢できない?少し騒がしくなったと思ったら、いつの間にかにまた乱入者。勇ましい音楽と清らかな音楽が入れ替わり立ち替わり。最後は、一瞬だけちょっと勇ましくなった感じで。

第五曲 フィナーレ プレスト

最後のまとめとなる、フィナーレ。音楽は改めて明るく快活に、そして今までのことを思い出すかのように進む。途中に出てくるゆっくりな部分は、少しビートを効かせてブルースのよう?当時のパリの音楽シーンはJAZZが席巻していたのだけど、その影響かもしれない。最初の快活な音楽に戻り、そして華やかに全曲が締め括られる。

明るく洒脱な人、プーランク。確かにそれはプーランクの紛れもない一面であったが、プーランクはまた別の顔をもっていた。宗教曲も多く手がけ、晩年に近い頃には修道院を舞台にした大作、歌劇《カルメル派修道女の会話》を完成させる(1956)。フランクと同じく、プーランクもまたキリスト教(カトリック)の信仰の中にいた。新しさと、伝統。プーランクもまた、相半するこの二つの顔を、絶妙のバランスでもって保ち続けた芸術家の一人であった。

(中田れな)

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