ソビエト連邦の最も偉大な作曲家を3人挙げろという設問があったならば、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリヤンという3人の名前を挙げるのが最も妥当なところであろう。この3人に共通する音楽的傾向は何か。例えば金管の咆吼や炸裂する打楽器。これは確かに3人に共通で、かつその音楽を決定的に刻印づけるものである。ではその3人が共に得意としたスタイルには何があるのかと聞かれたならば、どう答えればよいのか。
例えば行進曲。確かにショスタコーヴィチの音楽には、時には軍靴の響きを彷彿とさせるものまである。しかし他の二人の音楽には、あまり行進曲というイメージがない。いくらかでもソ連と同時代を生きた人ならば、軍隊行進曲というイメージはソ連という国家がイメージするものと見事に重なり合うこともあって、最も相応しい様な気がするかもしれない。しかし、3人に共通するスタイルとするのは難しい。
多民族国家ソビエト連邦。では民族舞曲はどうか。これはハチャトゥリヤンの独壇場となる。ショスタコーヴィチは民族的なものに興味を示しはしたが、それはやはり副次的なものでしかない。どちらかいうとショスタコーヴィチもプロコフィエフも、むしろインターナショナルな音楽を志向した人であった。
そもそも3人はその個性はもちろん、音楽的出自もかなり異にしている。その3人の共通点など探す方が無理だし、そもそもあまり意味のあることではないのかもしれない。確かにそうかもしれない。しかし、ここで私は提起したい。3人が共に得意としたスタイルとして、ワルツがあったのではないか、と。
3人とも、例えば「ワルツ王」シュトラウス一家のように実際に舞踏会で踊るためのワルツを作曲したわけでは無かった。そのワルツの多くは、バレエやオペラ、映画の中で踊られるための音楽である。ヨハン・シュトラウスらのいわゆるウィンナー・ワルツがまず実用のための音楽として存在しなくてはらなかったのに対して、彼らのそれは、いわば虚構のためのワルツ音楽であったといえるかもしれない。
しかしこの虚構のためのワルツは、何と魅惑的であることか。プロコフィエフのワルツにはまがまがしい響きで満ち溢れている。ショスタコーヴィチには軽快さと皮肉が、ハチャトゥリヤンには力強さが。見事に、彼らのワルツはその個性が表出される場となっているのだ。
私はこれをソビエト・ワルツと呼びたいと思う。本来ならばソビエト風のワルツということでソビエツ・ワルツとするのが正しいのかもしれないが、今ではソビエトという言葉を聞いても何のことだか一瞬ではわからない場合が決して少なくは無く(ソ連やソビエトは、もはや一般的な名詞では無くなってしまったのだ)、ソビエツ・ワルツとするとさらに何のことだかわからなくなってしまう。とりあえずはソビエト・ワルツと呼ばせて頂こうかと思う。
ウィーンのとは違って、現実社会の中で実際に踊るために作られたのではない、虚構のワルツ音楽。その空虚さはどこかソビエト連邦という国家のイメージにも重なり合ってくるところがある。重厚、そして空虚。
3人を含めソビエト連邦の作曲家がどのようなワルツを書き、それがどのように受容されたか、それらはソビエト音楽史の中でどのような位置づけが出来るものなのか、そもそも「ソビエト・ワルツ」というカテゴライズは適当なものなのか。それらはこれから考えていきたいところであるが、まずはその音楽を楽しむこととしよう。さしあたってはプロコフィエフから。ひょっとしたら踊ることも出来るかもしれない。アレス、ワルツァー!
(中田れな)