レナード・バーンスタイン(1918~1990)《管弦楽のためのディヴェルティメント》

千葉フィルの選曲事情と今回のプログラム

bernstein-div-imageアマオケの選曲は、基本的に、その楽団の事情に根ざしたものになる。例えば、打楽器は全てエキストラというようなオケがあると思えば、管打が中心で、弦は半数以上が賛助というオケも少なくない。千葉フィルの場合は創立時から中心的な存在の荒木君が優れた打楽器奏者であることもあって、パーカッションが強力。そのため、選曲会議では打楽器に対する配慮は必須となる。例えばモーツァルトやハイドンの交響曲だと、〈軍隊〉以外はティンパニだけだし、メンデルスゾーンの〈イタリア〉〈スコットランド〉あたりも同様の理由から外さざるを得ない。アンケートで古典派の名曲に対する要望があっても、あまりお応えできないのは、こうした事情が絡んでいる。

同じような状況から選に洩れてしまう典型がブルックナー。それでも、一度だけ 〈8番〉を取り上げたことがある。その時はノヴァーク版だったので、第3楽章にシンバルとトライアングルが一応は入っていた。しかし頂点を強調する2発のみで、実質はティンパニだけと言っても差し支えない。半年練習し、しかも、たった2小節という “開店休業” 状態なのに参加費を徴収するというのはナンセンス。というわけで、その時は、打楽器が活躍する〈ラ・ヴァルス〉と〈死の舞踏〉が前プロとして組み合わされた。ブルックナーを聴きたいファンにとっては、あまり歓迎できないカップリングになったわけだが、これが、おかしなエピソードを生むことになった。新聞の地方欄で3行記事的に「千葉フィルのコンサート。〈ラ・ヴァルス〉と〈死の舞踏〉他」と紹介されたのである。

その後も、ブルックナーをやりたいという要望は、それなりに持続しているので、仮に取り上げるとしたら、組み合わせる曲を物色しておかなくてはならない。そうした観点から目に留まったのが、この〈ディヴェルティメント〉だった。バーンスタイン自身が嬉々としてウィーン・フィルを振っているライヴの DVDがそれ[グラモフォン UCBG-1276]。バラエティに富んだ8曲から成る組曲で、打楽器は多彩。ジャズのドラム・セットやヴィブラフォンまで登場するから、パーカッションからも歓迎されるはず。コープランド譲りの素朴な祈り、ヤンキー気質丸出しの楽天的な開放感、大都会の妖し気な夜のブルーライト、といったあたりは、20世紀のアメリカを刻印している。結局、ブルックナーはまたもや落選したものの、今回、マーラーと組み合わされることになった。

以上のような経緯から、休憩を挟んで、明暗の落差が激しいコンサートになりましたが、前半がバーンスタインの没後20年、後半がマーラーの生誕150年ということでお楽しみ頂ければ幸いです。

バーンスタインの多面性が良い意味でのエンタテイメントとして凝縮

1980年にボストン交響楽団100周年の委嘱作として作曲され、同年9月25日、小澤征爾指揮のボストン響によって初演。バーンスタインを録音から辿ろうとすると、アメリカのオケでは常任指揮者時代にコロンビアが膨大な録音を残したニューヨーク・フィルが、殆ど唯一の存在になってしまうが、もう一つ、強い絆で結ばれていたのが、このボストン響だった。

ボストン近郊で育ったバーンスタインが、初めて生のオーケストラを聴いたのは13歳、アーサー・フィードラー指揮のボストン・ポップスだったという。名門ハーヴァード大学に入学してからは、当然、地元ボストン響のコンサートに通いづめ、やがて音楽監督クーセヴィッキーの目にとまり、指揮者としての道を歩むことになる。

ボストン響との共演を確認したいなら、1973年に母校のハーヴァード大で行なった公開講座と実演をDVD化した『答えの無い質問』(ドリームライフ DLVC-9006)を、ご覧になると良いだろう。〈田園〉、〈トリスタンとイゾルデ〉の《前奏曲と愛の死》、〈牧神の午後への前奏曲〉、ストラヴィンスキーの歌劇〈エディプス王〉等に於ける、55歳という最盛期のコラボレーションを確認できる。

バーンスタインの作品は、シリアスな曲よりも〈ウェストサイド・ストーリー〉に象徴されるようにジャズ的な語法を採り入れた曲のほうが成功している。モーツァルト時代の“喜遊曲”というタイトルを冠したこの小曲集もそうしたタイプの曲だが、ポップスやジャズ色の濃い曲でありながら、100周年 (Centennial) の頭文字を音名に置き換えたC(ド)と、ボストン(Boston) の B(シ) から主題としての音程を創り、それを循環主題的な音細胞として活用し、全8曲を連鎖にしているあたりは流石と言えよう。

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