20世紀になると歌劇作曲家達は〈ヴォツェック〉、〈ムツェンス郡のマクベス夫人〉、〈イエヌーファ〉等のように、社会の不寛容や閉鎖性によって疎外され、その結果として破局に追いこまれてゆく主人公を描くようになった。〈ピーター・グライムズ〉も、そうした中に含まれる作品の一つである。
第2次大戦中の1941年の夏、兵役を忌避してアメリカに滞在していたブリテンは、郷里の詩人クラップ(1755~1832)の「The Borough」のオペラ化を思い立ち、親友のテノール、ピーター・ピアーズと草案を練った。帰英後44年1月に作曲を始め45年2月に完成。主役の漁師ピーターはピアーズが歌い、同年6月7日ロンドンで初演。今回の《4つの海の間奏曲》はその間奏曲をコンサート用に編んだものだが、ストーリー順ではないので以下に★で示しておく。
舞台は1830年頃の英国東海岸の漁村。主人公は、人々と馴染まない偏屈で強情な性格の、独身の漁師ピーター・グライムズ。教師をしている未亡人のエレンだけは、その純粋な性格を理解しており、ピーターは彼女に密かな慕情を懐いている。当時は孤児院の子供を半ば人身売買的に連れて来て徒弟制度的に働かせることが日常的に行なわれていた。ピーターも、そうした少年を見習いとして自分の船で使っていたのだが、漁で嵐に遭い、死なせてしまう。
プロローグ
死因審理の場。日頃、粗暴な行為が目立つピーターに対して、傍聴の村人達から殺人の詮議がかけられるが、事故死と裁定が下る。一応は決着した形だが、この疑惑が物語の底流として燻り続ける。
Boroughはこの場合「村」と訳すのが適当か。「町」でもかまないのだが、「村八分」という概念がキーワード。地域的に閉鎖された社会の中ほど、掟を破った者に対する制裁は厳しい。そこに児童虐待、殺人疑惑、冤罪が絡み合って孤独な漁師を追い詰めてゆく。
第Ⅰ幕 ★Ⅰ《夜明け》
第1場・数日後の朝
海辺の集会所と溜まり場のパブ「いのしし亭」で村人達の日常が描かれ、ピーター非難の急先鋒であるセドリー夫人、寛容な元船長のボルストロード等の主要人物の性格が明らかにされる。ピーターが新たな少年を雇うというので協力的なエレン、新たな犯罪を恐れて関わりを拒む村人達。そこへ嵐が来るというので人々は「いのしし亭」に避難する。
★Ⅳ《嵐》
第2場・同日の夜。「いのしし亭」の内部
外は嵐。パブと言っても西部劇の酒場と同じ人々の欲望の捌け口の場であり、セドリー夫人も含めて人々の影の部分が露わになる。そこへピーターも登場するが、犯罪者扱いの罵声を浴びる。ずぶ濡れのエレンが少年を連れて入って来ると、火に油を注ぐ結果になり、ピーターは少年を強引に連れ去る。
第Ⅱ幕 ★Ⅱ《日曜日の朝》
第1場・数週間後の日曜日の朝。第1幕と同じ海岸通り
教会の鐘が鳴り、礼拝のヴォランタリーが聴こえて来る。エレンは少年の服の破れや首の傷に気付く。そこへ興奮したピーターが登場。「魚群を見つけたので手を貸せ」と少年を引っ立てようとし、「安息日だから休ませて」と抗議するエレンと口論となるが、激昂したピーターはエレンを殴りつけ、逃げる少年を追って退場。これを見ていた村人達はピーターの小屋へ様子を見に行くことになる。
第2場・同日。ピーターの小屋
小屋に戻ったピーターは、村人達が騒ぎながら迫ってくるのに気付き、少年に海岸へ逃げるように促すが、その直後、崖から墜落した悲鳴を聞き、後を追うように海にむかう。
第Ⅲ幕 ★Ⅲ《月光》
第1場・数日後、月夜の晩。海岸通りの集会場
殺人事件と決めつけて証拠を探しているセドリー夫人がピーターの船の影で身を潜めていると、エレンが「少年に編んであげたセーターを波打ち際で拾った」とボルストロードに話すのを聞いてしまう。それを村長に告げ口したため警察を巻き込んだ大捜索隊が結成され、人々は騒々しく四方に散って行く。
第2場・翌朝。海岸通り
濃い朝霧の中、錯乱状態のピーターが船に戻り、取り止めのないモノローグを始める。エレンとボルストロードが登場するが、エレンが誰かすら判らなくなってしまった惨状に、ボルストロードは意を決し、ピーターに「船を沖へ出して沈め、船と運命をともにするように」進言。受け入れたピーターと船を、海へ押し出し終えたボルストロードは、すすり泣くエレンの腕をとって去る。
捜索に出た村人達がこうした顛末を知らぬまま朝となり、入々は三々五々、家へ帰って行く。沈没船を発見という報告がもたらされるが、既に村人たちは関心を示さず、悲劇は忘れられたかのように幕となる。
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