エルガー (1857~1937) 交響曲第1番 変イ長調 作品55

作曲は1907~08年、50~51歳。その後1910~11年に〈2番〉を完成、未完の〈3番〉を残して1937年に亡くなっている。初演は08年12月3日、マンチェスターでハンス・リヒター指揮のハレ管弦楽団。空前の大成功だった。

自らの集大成としての交響曲

ベートーヴェンの残した9曲は交響曲の在り方を根本的に変えてしまった。芸術家としての全ての技法、人生観や思想を盛り込んだ最高の作品として呈示しなければならないという縛りが意識されるようになったからだ。43歳になって〈1番〉を完成初演したブラームスや、64~66歳に、ようやく書き上げた〈交響曲・ニ短調〉で、交響曲作曲家としての評価を不動のものにしたフランクは、その典型であろう。名作〈3番・オルガン付き〉だけで、高い評価を得ているサン=サーンスの場合もそうだが、その初演(1886年)は51歳の時だったので、ほぼエルガーと一致する。このような熟年や老年期に達してから完成された交響曲には、世界観や宗教観が、深い味わいとなって出てくることになる。

幻の 〈ゴードン交響曲〉

この前に標題付きの交響曲の可能性があった。1885年“支那のゴードン”と呼ばれた常勝の将軍C.ゴードンが、植民地スーダンの反乱で戦死する。ハルツームの玉砕に発つ前、ゴードンは、枢機卿J.H.ニューマンが ”老いて死を迎える人の苦悩と、信仰による救い” を描いた長詩《ゲロンティアスの夢》にアンダーラインを引いたコピーを残していった。遺書とも言うべきそのコピーは、人々に深い感銘を与えたが、87年にそれを読んだ若きエルガーもその一人で、やがて交響曲化のプランを思いたち、98年には〈ゴードン交響曲〉を書く事を約束する。しかし、プログラムに予告まで載ったのにもかかわらず、遂に交響曲としては実現せず、 1900年にオラトリオ〈ゲロンティアスの夢〉として実を結んだ。自らの力を『未だ交響曲を書くまでには至らず』と判断した為と言われている。

エルガー自身は〈ゴードン交響曲〉と〈 1番〉の関係を否定し〈1番〉には標題性の無いことを言明しているが、この交響曲に〈ゴードン〉を彩るはずだった悲劇的なヒロイズムと、黄昏の挽歌が同居しているのは確かであろう。

「オセロ」 と 〈威風堂々/pomp and circumstance〉

エルガーの代名詞のようになっている行進曲〈威風堂々・第1番〉が作曲されたのは、7年前の1901年。その出典はシェイクスピアの「オセロ」のⅢ幕3場。イャーゴの奸計によって愛妻が姦通したと信じ込まされてしまったオセロが、自暴自棄になって「軍旗の荘厳、輝かしい戦場のすべて、その誇り、名誉、手柄、一切とお別れだ!/ The royal banner, and quality, pomp and circumstance of glorious war!」(福田恒存訳 新潮文庫「オセロ」 99頁)と叫ぶ場面に由来する。〈威風堂々〉中間部の主題は、後に歌詞がつけられ、第二の英国国歌のように歌われるようになったのだが、この交響曲第1番の中心主題①はその系列を継ぐ形となり、交響曲全体の雄渾な悲劇性を決定づけることになる。

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循環形式と大英帝国の残照

ロマン派の交響曲作曲家達が一様に腐心したのは、多楽章から成る交響曲全体を、いかにして一つの有機体に形成するかだった。エルガーの〈1番〉も同様なのだが、ある点が全く変わっている。普通は最初に主題の原型をシンプルな形で出し、それを変容させ、拡大してゆくというのが定石。マーラーの〈巨人〉や〈9番〉は、その極端な例で、循環主題は最初から呈示されているのに、聴き手には、それと気づかせないような暈しが仕組まれている。そして曲が進むほどに、その全貌と本質が明らかになってくる。〈巨人〉の「郭公の鳴き声→勝利のコラール」、〈9番〉の「不気味なシンコペーションのリズム→死の告知」といったように。それは推理小説で、作家が、最初のうちに真犯人を、それとなく平凡な人物として登場させる手法と同じだ。

ところがエルガーの〈1番〉は全く違う。中心主題①が序奏部の冒頭で静かに奏されるところまでは定石どおりなのだが、その後で異変が起こる。トゥッティの ff で、壮麗に繰り返されるのだ。それこそ正に「威風堂々」。それがいかに普通と違うかは、例えばベートーヴェンの 〈第9〉の冒頭で、終楽章の「歓喜の主題」が全オーケストラで壮大に演奏されるといったイメージを思い浮かべて頂ければ、納得してもらえると思う。

最初に、ある国の文化を象徴する巨大な教会や宮殿のようなイメージを荘厳な音響で示した後、そのルーツ、もしくは行く末を紐解いていこうという構成なのだ。つまり推理小説で言うなら、「ダイヤルMを回せ」や「刑事コロンボ」のように、最初に事件の発生から入って、犯人が誰かを示して始めるタイプなのである。ウェストミニスター寺院やバッキンガム宮殿に象徴される “大英帝国の栄光ありき” から、スタートするのだ。

大英帝国と自身の人生を残照の中にオーバーラップさせた曲だが、優れた交響曲は、時代とともに未来を予言することが珍しくない。マーラーの〈6番〉やショスタコーヴィチの〈4番〉がそうなように… タイタニックの悲劇や、スコット隊の遭難は少し後の1912年に起こる。

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