もうひとつのマーラー解説 「マーラー記号論」

〈大地の歌〉と〈9番〉を結ぶ、もう一つの主題「ロマネスカ・バス」

鳥の囀りや、ロバの嘶き、大道芸人の手回しオルガンや軍隊のラッパといった環境音楽的な素材も含めて、既存の名曲や主題を、何かを意味する“記号”として用いるのはマーラーが最も得意としていた技法だった。

マーラーの〈3番〉と〈4番〉に連作的な関係があるのは知られているが、〈大地の歌〉 〈9番〉 〈10番〉は、自身が直面した悲劇と葛藤を背景に、現世的な苦悩と、そこからの『離脱と開放』を意味する “死” を主題とした “諦念の三部作” を形成している。ベートーヴェンが、弟子でパトロンだった若きルドルフ大公との別れと再会を曲に盛り込んだピアノ・ソナタ〈告別〉で用いた主題③を、マーラーが〈大地の歌〉の終曲《告別》で記号として引用したのは別項にあるとおりだが、《告別》の場合、歌詩を聴けば、死を覚悟した主人公が、友に永劫の別れを告げる心境を歌った内容なのは明らかなので、ベートーヴェンのソナタを知らなくても最後に『永久に』と繰り返されるのを聴けば、その真意は正しく伝わる。

そのバトンを直接受け継いで続編として始まる〈9番〉の第1楽章にはベートーヴェンの③とは別に、〈大地の歌〉の《告別》を経由して、もう一つ受け継がれている重要な主題がある。それは東洋的な5音音階「ド・レ・ミ・ソ・ラ」を装った「ロマネスカ・バス」だ。

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〈大地の歌〉は、李白等の漢詩によっているため、マーラーは中国を音楽的に表わそうとして意図的に、5音音階を使っている。その方法はウェーバーやプッチーニの〈トゥーランドット〉、ラヴェルの〈マ・メール・ロワ〉等と同じで、西欧の作曲家のオリエンタリズムの典型。しかし〈9番〉は、東洋とは関係無い、純器楽の絶対音楽だ。それにも関わらず、第1楽章に漢詩的な無常観が漂っているのは、5音音階を特徴づけている「ミ・ソ・ラ」を核とする《告別》の主題④を、ほぼ、そのまま⑤として継承しているからである。

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※ 譜例④~⑨は、音程が比較し易いように、全てト音記号・ハ長調に移調してある

第3楽章が2拍子系の急速な “明” の音楽で、フィナーレが悲劇的な “暗” の緩徐楽章という斬新な構成はチャイコフスキーが〈悲愴〉が先例。その第1楽章の第2主題も、同様に疑似5音音階であり(正確には〈新世界〉の第2楽章や、〈惑星〉の《木星》同様、5音+1音で、多少、ぼかしをいれているが)、ロマン派以降の多くの作曲家がそうしたように、中国や日本を統括したオリエンタリズムの中に、死後の救いや桃源郷を夢見るといったパターンの中に組み入れることができよう。この東洋的な彼岸のイメージは終楽章の後半、静まりかえった墨絵のような沈黙の中から、ハープが琵琶のように3度音程で弾き始める88小節~で再現され、交響曲としての整合性が確保されるのである。

この④・⑤は、オリエンタリズムとは別の源流からも辿ることができる。それは「ロマネスカ」もしくは「ロマネスカ・バス」と呼ばれる音型だ。最も分かり易い例として⑥が低音部でオスティナート・バスとして反復されるパッヘルベルの〈カノン〉を挙げておこう。特に重要なのは4度下降を繰り返す最初の4音「ド・ソ・ラ・ミ」。もともとはスペイン起源の聖歌の低音部に使われていた音型が、次第に独立し、神を象徴する主題として広く使われるようになっていったものだ。〈メサイア〉の《ハレルヤ・コーラス》、ブラームスの交響曲〈2番〉の終楽章、シベリウスの〈カレリヤ〉序曲、フランクの〈前奏曲、コラールとフーガ〉は、どれも、この音型を主題的に用いている(バッハやベートーヴェン等、その使用例は、いくらでもある)。ワーグナーがスペインのモンサルヴァート城で聖杯を護る騎士達を題材にした〈パルジファル〉で⑦を聖堂への入場の音楽としたのは、原主題=聖歌の発祥地だからであろう。

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マーラーは〈巨人〉⑧が最も直接的で、殆ど素材をそのまま使っている例。以後も多くの曲で、その引用や変容が見られるが、〈8番・千人の交響曲〉の最後で宗教的な救済を全オーケストラで表す際にも、この音型の3音「ド・ソ・ラ(オクターヴ跳躍させている)」⑨をトランペットでシンボリックに強奏させている。

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こうした⑥~⑨は、救いをキリスト教的な世界に結びつけたものだが、〈大地の歌〉と〈9番〉では同じ「ミ・ソ・ラ」を素材として用いながらも、西欧的な臨界の外に彼岸を求めている。

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