マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調

マーラーの音楽はドイツ音楽か?

しかし、マーラーはドイツ・オーストリアの音楽環境にどっぷり浸かった音楽家だったし、その環境において最高のキャリアを獲得した人間だった。そういう人間が作曲した音楽は、形式的には交響曲という、ドイツ文化圏が極限まで発達させた様式を用いて作曲された。しかし、その内実としてはどうか。今となっては少数派となったが、ドイツ系の指揮者でマーラーをレパートリーにしない指揮者もかっては数多く存在した、というか、ある時期まではドイツ系の指揮者はマーラーをレパートリーにしないのが普通だった。演奏したとしても、歌曲や交響曲第1番辺り。深くマーラーを追求することはなかった。その理由は様々なものがあろうが、一つには彼らがマーラーの音楽を「自分の音楽ではない」と感じたことがある。マーラーの音楽は、ドイツ的な音楽ではない、どこか異質な要素が入り込む音楽だった。マーラーは、非ドイツ系の指揮者や、ドイツ圏でキャリアを積みドイツ系の音楽をレパートリーの中心に据えながらも、ユダヤ系であった指揮者たちによって盛んに演奏されてきた。(これはリヒャルト・シュトラウスと対比すると一層はっきりとする。マーラーをレパートリーにしない指揮者はリヒャルト・シュトラウスを得意のレパートリーとし、リヒャルト・シュトラウスを振らない指揮者はマーラーを好むという傾向が一時期、確かに存在した。これは、リヒャルト・シュトラウスがナチス・ドイツにおいて要職に就いていたことが影響しているのかもしれない。この話の続きは次回に。)

しかし、時代は変わった。かってはベートーヴェンの交響曲をちゃんと振れることが指揮者としての試金石だったが、それはマーラーまで広げられたような感がある。ベートーヴェンが振れるのは当然、マーラーがちゃんと振れてこそ、一人前の指揮者として認められる。(そして今は、恐らくそれにショスタコーヴィチが加わってきている。ベルリン・フィルの定期演奏会のプログラムを眺めると、なんとなくそれは感じ取れるはずである。)聴衆の趣向と音楽表現の拡大が、民族的な観念を後ろに追いやったといえよう。

では、マーラーは何音楽なのか?これは、人によって様々な答えが出てくるだろう。「ユダヤ的」な音楽、現代音楽の始祖、ボヘミア的・スラブ的な要素を感じさせても良いだろう。ドイツ音楽として演奏しても良い。。。マーラーの多種多様な要素が複雑に入り込んだ音楽は、多種多様な見方を可能にしている。ある部分を強調して他の部分を抑えると、同じ曲でも驚くほど印象が異なることが他の作曲家の作品より多い。そういった多種多様さを受け入れるところが、マーラーの音楽の最大の魅力の一つであろう。

リヒャルト・シュトラウスの「嗅覚」

さて、ベートーヴェンとワーグナー、マーラーを俎上に上げてドイツ音楽とは何かを述べようとしたが、いささか焦点からずれてしまったようである。このテーマは次回に持ち越すことをお許し願いたい。次回はベートーヴェンとリヒャルト・シュトラウス。生誕250年を迎えたベートーヴェンだが、ドイツ音楽を超えたインターナショナルな音楽家としてベートーヴェンを捉え直すことが、どうやら最近のヨーロッパでは流行りのようである。政治的に正しいベートーヴェン!ベートーヴェンの中にあるナショナリティと普遍性。そして、リヒャルト・シュトラウスの隠れた大曲。リヒャルト・シュトラウスは徹頭徹尾、ドイツの音楽家だったと言えよう。

リヒャルト・シュトラウスはマーラーの友人であり、作曲家としても指揮者としてもライバルだった。リヒャルト・シュトラウスはマーラーの交響曲第5番を指揮した後に、次のような手紙をマーラーに送っている。「総練習で、あなたの第5交響曲には、ささやかなアダージェットだけにはいささか落胆させられましたが、またしても私に大きな喜びを与えてくれました。アダージェット楽章が聴衆には最も気に入られたのは恐らく当然のことでしょう。特に最初の二つの楽章はまったく申し分ありません。それに、独創的なスケルツォはいくぶん長すぎた感があります。」第3楽章まで振り終えて、そして第4楽章で「どうして・・・」と落胆しつつそれを隠しながら指揮をするリヒャルト・シュトラウスの姿を想像するのは、ちょっと楽しい。さすがリヒャルト・シュトラウス、アルマの登場によってこの曲が途中で軌道修正をしたことなど知る由もなかったが、音楽家としての「嗅覚」で、それを見抜いていたということか。

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