第2楽章 スケルツォ イ短調 3/8
中間楽章を初版どおり「2=アンダンテ→3=スケルツォ」の順にするか、マーラー協会の従来の全集版どおり「2=スケルツォ→3=アンダンテ」にするかとい問題に関しては、今回使用したクビーク監修の2010年版では前者が結論とされた。一番の根拠は、マーラーが生前に指揮した3回の、即ち1906年5月27日のエッセンでの初演、半年後の11月8日のミュンヘン、07年1月4日のウィーン、が全て「アンダンテ→スケルツォ」の順で演奏されていたと検証できたからだ。
筆者は、それをデータとして重視しつつも「初演後7カ月弱という短期間に、3回振っただけ」というのを、むしろマイナス点として捉える。パート譜も含めた膨大な細部の改訂・修整という骨の折れる作業に追われる中、楽章順を変更するとなると、リハーサルでの練習番号の混乱だけでも無駄な神経を費やされることになり、「第4楽章だけに加わる金管の増員、ハンマーも含めた打楽器奏者達を、練習のどの時間帯に集合させるか」といったタイムキーパー的な手順も混乱が生じ易いので、総指揮官としては、当然、現場的なエネルギー・ロスは避けようとしたはず。 そうしたロスとは無縁のピアノ連弾等では、楽章順を自由に扱っていたことから、一旦、日時を置いて、例えばアメリカで演奏機会を得たとしたなら、逆順を試すということもあり得たのではないか。この傑作の様々な可能性を“たった3回の自作自演”を根拠に閉ざすべきでは無い、というのが筆者のスタンス。更に、アンダンテを第3楽章に置いた場合、神秘的な変ホ長調のエンデイングと、同じ♭3つで始まる第4楽章の開始部の調性的な繋がりが、感性的にも納得できるので、今回も「スケルツォ→アンダンテ」の順で演奏する。
S1-T1-S2-T2-S3-Coda(T3)の5部形式。第1楽章の軍靴の行進を、そのまま3拍子のワルツ化した主部⑨で始まる。シロフォンによる「骸骨の踊り」⑩も加わり、サン=サーンスがシロフォン入りで描いた交響詩〈死の舞踏〉と同じ、死霊の舞踏会らしいことが暗示される。
テンポが緩やかになったトリオでは変拍子⑪となり曲想も一変。よちよち歩きを始めた子供が、不規則な足どりで歩き回る情景と重なるこのトリオ、長女が生れたのが02年11月で、第1~3楽章を作曲したのは作曲小屋に籠もる6~8月の夏休みだから、まだ歩行は無理。ハイハイを始める頃だったことになるが、一人歩きを始める頃の幼児を見る機会は、いくらでもあったはずなので愛娘に限定する意味はあるまい。重要なのは、子供や、幼時の回想を得意としたマーラーが、これほど可愛らしい音楽を書いたのは初めてだということ。はしゃいだかと思うと、急に泣きだす、赤ちゃんらしい感情の急転も、リアルに描写されている。
もう一つ重要なのは「怖いお話」を連想させる⑫。これは⑪の変拍子と同様、最初はスケルツォ主部の速いテンポの中で示されるが、登場する度に、テンポが遅くなり“怖さ”が増していく。赤ちゃんに話しかけているうちに、あやし手のほうの表情が、どんどん大げさになっていく情景を思わせるこのエピソードが、次第に非現実的な怪奇の闇まで入り込んでいくあたりは、マーラーらしい。