セルゲイ・プロコフィエフ (1891~1953)  交響曲第6番 変ホ短調 作品111

交響曲第6番の性格

ここで交響曲第6番である。「難解な曲」という評価は、初演時から今もまだ続いていると言って良いだろう。その原因はどこにあるのか。やはり、全体の締めである終結部にその鍵がある。

3楽章形式。プロコフィエフの交響曲で3楽章のものはこの交響曲だけである。足りないものは何か。スケルツォ楽章が存在しないのだ。第5番では第2楽章がスケルツォであり、プロコフィエフ特有のメカニカルな気配が楽章の全編に渡って覆い尽くす。第6番では、そんなプロコフィエフを特徴付けるとも言えるスケルツォ楽章が存在しない代わりに、中心に据えられた第2楽章が非常に重要な役割を果たす。

重苦しく沈痛なムードが漂う第1楽章。戦争の犠牲者を悼むのだろうか。第2楽章はさらにそれにミステリアスな何かが音楽に加わる。死者たちの音楽、冥土の音楽か。そして第3楽章。音楽は明るく快活に進む。このまま終われば、戦争終結を祝い明るい未来へ進む、といった性格付けもできようが、明るい調子は失速し、沈痛な音楽がまた訪れる。そして、悲痛な絶叫。絶叫が静まると音楽は快活さを取り戻すが、音楽は明るいとも暗いとも言い切れない。そしてそのまま唐突な幕切れへ。それは例えるならば、盛り上がったところで結末を見せることなく唐突に終った映画のようなものである。プロコフィエフの同僚が理解出来ない、と言ったのも頷けない話ではない。

プロコフィエフはこの交響曲について、戦争の悲劇を忘れてはならない、というようなことを語っている。ソ連時代の公式発言というのは、プロコフィエフのこの例に限らず、いつの時代のどの分野のものでも政治的要望に沿った発言が多く、発言者の真意が図りかねるものが多い。しかし、もちろんその全てが嘘というわけでもないだろう。第二次世界大戦で勝利を獲得したソ連であったが、戦争によって疲弊し尽くしたソ連は戦争が終わっても生活が劇的に好転することはなかった。溜まっていく鬱積。

また、この交響曲はプロコフィエフの私生活が反映されているのかもしれない。交響曲第5番の初演直後、プロコフィエフは頭を強く打ち大怪我を負う。これ以降、死ぬまで怪我の後遺症がプロコフィエフに纏わり付く。第1楽章には耳鳴りを思わせるような箇所があるが、それまでのプロコフィエフの音楽に聞くことがなかった悲痛な感覚がこの交響曲には随所に現れるのは、そういった大きな身体的な不調のためなのだろうか。そういう悲痛なものが、交響曲にある筈の物語的なものを覆い尽くしてしまった感もある。そしてさらに次の交響曲では、こういった悲痛でかつミステリアスな感覚が全編に渡って満ち溢れることとなる。

交響曲第4番改訂版と交響曲第7番

交響曲第6番の後、プロコフィエフは以前作曲した交響曲第4番を全面的に改訂する。楽器編成も増え時間も長くなった交響曲第4番の改訂版は、初版と共通する楽想が随所に聞かれるが、しかし全曲を通して見たところ、それは初版とは全く別の音楽となった。性格も変化している。そしてこの変化したものこそが、プロコフィエフの交響曲第5番と第6番そして第4番改訂版と、それまでの四つの交響曲とを分け隔てるものとなる。

それを言葉で説明するのは難しい。是非、交響曲第4番の初版と改訂版を聞き比べて頂きたいと言うしかない。ただ、筆者には、これは主観的な感覚となってしまうのだが、ここに至ってプロコフィエフは、善悪や明暗といった相対する二つの世界の対立を弁証法的に描き出すことを徹底的に拒否したのではないか、と思えるのだ。

交響曲第5番は明るい雰囲気に満ち大衆にも歓迎された。だが、この交響曲もよく聞くと実はかなり危うい。第3楽章はミステリアスな雰囲気に満ち、死者たちが漂っているかのような感覚がある。そして、第4楽章。交響曲としての結論を示すこの楽章において、プロコフィエフはパロディのように笑いを取ろうとしているのではないかと思える程なのだ。まず、序奏は荘厳である。この序奏からヴィオラが主部へ誘うのだが、しかしこのヴィオラは、どうもコミカルな装いを隠そうとはしていない①。そして第4楽章はせわしなく、トリッキーな感覚に満ち溢れたまま終結を迎える。しかし全体として、不思議と高揚感に満ち溢れたものとなっており、明るく盛り上がった気分で曲を終えることが出来るのだ。

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この感覚がプロコフィエフの意図したものなのかどうかは分からない。ただ、この交響曲は大絶賛された。ここでプロコフィエフの中で、交響曲というものに対する一種独特の価値観が形成されたのでないだろうか。この価値観を、プロコフィエフは交響曲第6番、そして交響曲第4番改訂版で突き詰めていく。ベートーヴェンがその交響曲で打ち立てた、善と悪、明と暗といったものの弁証法的な対立は、もはやここに聞くことは難しい。

しかしこういった曖昧なものは当時のソ連では許されなかった。芸術は明るく、そして明快なものでなくてはならない。政府から批判を浴びたプロコフィエフは、交響曲第7番(1952)では直前の交響曲で展開したものを全て封印する。プロコフィエフは幾つかの顔を持った作曲家であったが、その一つに《ピーターと狼》(1936)のような子供向けの親しみやすい音楽の作曲家、というのがあった(ちなみに、こういうイメージはショスタコーヴィチにはあまりない)。交響曲第7番では、そういったものが全編に満ち溢れている。そしてそれもまた、紛れもなくプロコフィエフの音楽の一つであった。

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