苛烈な戦いが繰り広げられていたロシア。プロコフィエフは映画監督エイゼンシュテインと共に、モスクワから遠く離れた中央アジアのカザフスタン共和国の首都、アルマ・アタ(現在のアルマトイ)にいた。戦火を避けての疎開である。そしてこの地で、エイゼンシュテインが撮影を進める《イワン雷帝》の音楽を作曲する。ロシア革命を避けて出国したプロコフィエフが、ソ連に「帰国」してからおおよそ10年が経つ頃のことだ。
苛烈な戦いが繰り広げられていたロシア。プロコフィエフは映画監督エイゼンシュテインと共に、モスクワから遠く離れた中央アジアのカザフスタン共和国の首都、アルマ・アタ(現在のアルマトイ)にいた。戦火を避けての疎開である。そしてこの地で、エイゼンシュテインが撮影を進める《イワン雷帝》の音楽を作曲する。ロシア革命を避けて出国したプロコフィエフが、ソ連に「帰国」してからおおよそ10年が経つ頃のことだ。
プロコフィエフは1891年生まれなので、1882年に生まれたストラヴィンスキーのだいたい一世代下にあたる。プロコフィエフは《春の祭典》 (1913)でストラヴィンスキーの前衛的な音楽がセンセーショナルな成功を収めたのを目の当たりにして、これだ!と思ったのだろうか、ストラヴィンスキーの破壊的・暴力的な面をさらに増幅させた音楽で売り込みを図る。誰に?《春の祭典》で、センセーショナルな音楽と踊りでパリを喧噪の渦に巻き込んだバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)。そのバレエ・リュスを率いるロシア貴族の男、セルゲイ・ディアギレフ。このディアギレフこそ、プロコフィエフが売り込みを図ったその相手であった。いや、ディアギレフは単なる窓口でしかなかったのかもしれない。プロコフィエフが本当に狙っていたのは、西側世界での成功だった。
20世紀の作曲家は、当然のように新しい技法を開拓しようと競い合っていたが、ソヴィエト国内に留まった作曲家達は、党が「社会主義リアリズム」を掲げて、前衛的な傾向を批判したため、平易で親しみ易い作風に転じざるを得なくなる。
プロコフィエフは1918年(27歳)に交響曲〈1番・古典〉を初演した後、革命を逃れて日本経由でアメリカに渡ったものの、鬼才として畏れられたデビュー時の牙は次第に円くなり、1934年(43歳)にはソ連に帰国。その後に作曲されたバレエ〈ロミオとジュリエット〉〈シンデレラ〉、歌劇〈戦争と平和〉等は、意図的にロマンティックな解り易い語法に転じたせいもあって、国内外で評価を高めることになった。
ロシア革命を避けロシア国外を転々としていたプロコフィエフだったが、1930年代半ばに帰国。これ以降、プロコフィエフはソヴィエト連邦の代表的な作曲家として活躍する。ロシア国外にいた時代から、プロコフィエフはバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のディアギレフとの共同作業などによってバレエなどの舞台作品を手がけていたが、それらの経験がソ連帰還後に大きく生きる形となった。
今回のようにコンサートで抜粋演奏をする場合、バレエ全曲版のスコアから筋書き順にピックアップして並べていけば良さそうに思えるが、そう簡単にはいかない。別稿にもあるように、組曲は離れた場面の音楽をつなぎ合わせて1曲にしていることがあるからだ。しかも、一般ファンがCMで人気になった《モンタギュー家とキャピュレット家》をCDで楽しもうとすると、組曲版で録音された盤を買うことになる。もう一つの人気ナンバー《タイボルトの死》も同様なのだが、そうした組曲版CDで憶えたファンが、全曲版から抜粋した該当場面の音楽を聴いた場合、盛り上がったところで音楽が中断したり、別の場面の音楽に飛んでしまったりということで、楽しみが半減ということになりかねない。
《ロメオとジュリエット》の成功を受け、レニングラードのキーロフ劇場はプロコフィエフに新作バレエ《シンデレラ》の音楽を依頼する。この頃のプロコフィエフは再婚を果たし、またソビエト連邦の地に於いて安定した地位と名誉を獲得するなど、非常に充実した活動を送っていた時期であった。意欲を持って作曲に取りかかったプロコフィエフであったが、独ソ戦の勃発により作曲は中断。結果として1941年から1944年までの長丁場に渡っての作曲となった。バレエの初演は1945年。バレエも音楽も共に絶賛を浴び、現在でもプロコフィエフのこの音楽によるバレエは、バレエの重要なレパートリーの一つとなっている。
〈6番〉では、革命や戦争の象徴としての『運命主題』が重要。そのルーツを説明するには、ナポレオン戦勝利を祝って1813年に初演された〈ウェリントンの勝利〉が分かり易い。そこでは、英仏両軍が左右の軍楽で示されるのだが、英国軍が[E1]の小太鼓と[E2]のトランペットで、フランス軍が[F1][F2]で対峙する。この伝統的な軍楽には『運命主題』が、3連符の形Aで含まれている。これを戦争に対する警告として用いたのがハイドンの〈軍隊〉で、より組織的に用いたのが〈エロイカ〉と〈運命〉だが、後者の影響が最も大きいのは言うまでもあるまい。
日程:2013年1月12日(土) 17:15開場 18:00開演
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日程:2024年1月21日(日) 13:30開演(12:45開場)
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日程:2024年7月14日(日) 13:30開演(12:45開場)
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