プロコフィエフ(1891~1953) バレエ音楽《シンデレラ》から

「灰かぶり」の物語

cinderella-thumb《ロメオとジュリエット》の成功を受け、レニングラードのキーロフ劇場はプロコフィエフに新作バレエ《シンデレラ》の音楽を依頼する。この頃のプロコフィエフは再婚を果たし、またソビエト連邦の地に於いて安定した地位と名誉を獲得するなど、非常に充実した活動を送っていた時期であった。意欲を持って作曲に取りかかったプロコフィエフであったが、独ソ戦の勃発により作曲は中断。結果として1941年から1944年までの長丁場に渡っての作曲となった。バレエの初演は1945年。バレエも音楽も共に絶賛を浴び、現在でもプロコフィエフのこの音楽によるバレエは、バレエの重要なレパートリーの一つとなっている。

 

 

元になった話は17世紀にシャルル・ペローがまとめた童話集の中の一編「灰かぶり(サンドリオン)」。暖炉の隅に隠れる「灰かぶり」の少女が最後には王子と結ばれ幸福になるという物語は、様々なバリエーションでユーラシア大陸に広範に語り伝えられている。ペロー版「灰かぶり」物語は、その物語性と共に20世紀に入ってディズニーがアニメ映画にしたこともあって(「シンデレラ」は「灰かぶり」の英訳。Cinder(灰)+ella(接尾語)で女性の名前っぽくしたもの)、昔話の枠を超え、現代でも非常にポピュラーな物語として知られるに至っている。

プロコフィエフの叙情性

ストラヴィンスキー程ではないが、プロコフィエフもまた生涯に作風を大きく変化させている。若き頃のプロコフィエフの音楽には野蛮性をも感じさせる荒々しさが目立っていたが、後に美しさとロマンチックな情感を全面に出した叙情性が強く支配するようになる。ソビエト時代のプロコフィエフにこの叙情性は特に顕著となっているが、これがソビエトという国家が要求したものなのか、それともプロコフィエフが志向する芸術性が自ずと変化した結果なのか、それは議論の分かれるところである。(そもそも、これはまだ十分な議論がなされていないところでもあるが。)

ソビエト時代の作品でも、特にこの《シンデレラ》は、プロコフィエフの叙情性が強く出た作品として知られている。バレエ《シンデレラ》は、シンデレラと王子との愛の物語としての側面を強調することによって、プロコフィエフがその叙情性を発揮するには十分すぎる程の舞台となった。

バレエ音楽《シンデレラ》

バレエ音楽《シンデレラ》は全50曲からなる。そのすべてを演奏すると2時間弱の大曲となるが、今回はその中から17曲を抜粋して演奏する。抜粋にあたってはプロコフィエフの叙情性に焦点を据え、シンデレラと王子との愛の場面や第2幕の舞踏会が中心のものとなった。以下、そのストーリーと音楽の概要を示すこととする。

なお、プロコフィエフはこのバレエ音楽の中から独自の抜粋を行い、演奏会用の管弦楽組曲を3曲完成させている。その組曲版の音楽は、順番は元の物語からまったく自由であったり、元の音楽を複数組み合わせて一つの曲にしたり、または編成を小さくしたりして、元のバレエ音楽のものとはいささか違う趣を持ったものとなっている。今回の演奏では組曲版は参照せず、なるべく元のバレエ音楽の形を壊さないように配慮したつもりである。

 

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