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20世紀の作曲家は、当然のように新しい技法を開拓しようと競い合っていたが、ソヴィエト国内に留まった作曲家達は、党が「社会主義リアリズム」を掲げて、前衛的な傾向を批判したため、平易で親しみ易い作風に転じざるを得なくなる。
プロコフィエフは1918年(27歳)に交響曲〈1番・古典〉を初演した後、革命を逃れて日本経由でアメリカに渡ったものの、鬼才として畏れられたデビュー時の牙は次第に円くなり、1934年(43歳)にはソ連に帰国。その後に作曲されたバレエ〈ロミオとジュリエット〉〈シンデレラ〉、歌劇〈戦争と平和〉等は、意図的にロマンティックな解り易い語法に転じたせいもあって、国内外で評価を高めることになった。
最後の交響曲に該る〈7番〉は、そうした作風の帰結点とでも言うべきで、ロマンティックな叙情性と、得意とした遊び心に溢れている。戦勝を意識した〈5番〉のような“歴史の証言”的な側面は無く、作曲者自身が名付けたとされる「青春」というタイトルは、全曲を特徴づけている回想的なノスタルジーに相応しいように思う。
最晩年の1951~52年(60~61歳)に作曲。死の前年1952年にサモスードの指揮により、モスクワで初演された。
第1楽章 嬰ハ短調 4/4拍子
第1主題 ① は、もの悲しさの中に交響曲全体の郷愁的な性格を決定づける。長調に転じた第2主題 ② は、より息の長い大河のような雄大さを特徴としており、ロシアの大地を感じさせずにはおかない。こうした流れを、鳥の囀りを思わせる ③ が遮る。道化た曲想を得意としたプロコフィエフらしい転換は、天衣無縫な第4楽章を予感させる。