R.シューマン (1810~1856) 交響曲第2番 ハ長調 作品61

そうした体験があったので、今回はシューマンのオリジナルどおり演奏するのだが、バランスのコントロールは必要だ。例えば第1楽章の36小節②aの第2ヴァイオリンのパートは重音で書かれているが、下の音の動きが重要なので、実質的には②bのように弾かせる。

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第1楽章の109小節~のヴァイオリンは③aのように第1と第2ヴァイオリンが交替で旋律を遣り取りする。マーラーだったら旋律線を弾き終えた後の刻みをやめさせ、③bのように書くところだろう。これも③aのとおり刻みのままで、③bのようなイメージで強弱を交替して弾いてもらうつもりだ。

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この2つに較べると、もっとデリケートなのが第1楽章の96小節~のファゴット④。④のような音型の場合、普通は上を吹く1番が旋律線を担っているものだが、この場合、重要なのは明らかに下の2番パートの動き。それはシューマンがコントラバス(④の下段)とチェロに、2番の動きを重ねる形で強化していることでも明らかだ。そのため1番には、下の動きを意識し、張り合って強奏することのないように注意した。

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こうした細部の注意を書き連ねてもきりがないので、簡単な心得を二つだけ伝えたことを報告しておこう。「2小節以上に亙って同じ音を延ばし続けるようになっている場合は、音量を落とすこと」「演奏していてメロディとしてつまらないと思う部分は(和声的に主旋律に追随するパートが殆どなので)、主旋律を意識して音量控え目に演奏すること」以上である。

曲目解説

シューマンの交響曲は番号と作曲年に食い違いがあるので、注意が必要だ。最初が41年に作曲・初演(3月31日)された〈1番・春〉で、同年6~9月に作曲されたニ短調の交響曲も12月6日には〈2番〉として初演されたのだが、評判が良くなかったためにシューマンは出版を見合せ、改訂を決意。この曲が書き直されて53年に出版された時は、既に現在の〈2番〉と〈3番・ライン〉が初演されていたので、〈4番〉となった。つまり、今夜の〈2番〉は、実質的には3番目の交響曲にあたる。

ベートーヴェンが〈運命〉で達成した、モットー主題によって交響曲全体に有機的な統一感を与えるようとする試みは、それ以後の作曲家達にとって指標となった。全楽章にモットー主題が登場する代表作はベルリオーズの〈幻想交響曲〉、チャイコフスキーの〈5番〉、ドヴォルザークの〈新世界〉といったあたりだが、シューマンの場合は、この〈2番〉が、そうした意図で作曲された曲にあたる。モットー主題は第1楽章冒頭で金管によって呈示される①a。これが第3楽章を除く3つの楽章に登場し、循環主題として全曲に有機的な統一を与えるのだ。

シューマンに精神疾患の兆候が本格的に顕れたのは〈1番〉より後の43年とされる。44年には妻クララと共に長期のロシア楽旅をするが、旅のストレスは病状を悪化させた。ライプチヒでの音楽界での立場も壁にぶつかったような状況に陥りつつあったため、44年12月にはドレスデンに移住。これが功を奏したのか病状は快方に向かった。その直後の45年12月~46年に作曲され、46年11月5日にメンデルスゾーンの指揮によってライプチヒで初演された〈2番〉を、そうしたシューマンの精神的な危機からの回復と結びつけ、私小説的な見地から説明する研究者もいる。

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