ストラヴィンスキー(1882~1971)バレエ 〈火の鳥〉 全曲版(1910年版)

成立過程

firebird-thumb20世紀初頭の西欧音楽界で、時代を切り拓いていったのがディアギレフ率いるロシア・バレエ団。その中核となったのが、まだ無名だったストラヴィンスキーによる〈火の鳥〉〈ペトルーシュカ〉〈春の祭典〉。この3大バレエは、その質においても、破壊的なエネルギーと影響力の凄まじさにおいても、19世紀後半にワーグナーが〈トリスタンとイゾルデ〉で成し遂げたのに比肩すべき核爆弾的な役割を果たしたのであった。

 

 

その先陣を切った〈火の鳥〉がパリ・オペラ座(ピエルネ指揮、フォーキン演出)で初演されたのが1910年6月25日。つまり今年が初演100年ということになるのだが、精確に言うと今日、1月9日の時点では音楽作品としての実体は存在していなかった。ロシア・バレエ団による新作は何人ものプロによる創作工房のような会議から生れたのだが、最初の段階でその合議に参加していた作曲家のチェレプニーンは、舞台美術のブノワによれば「理由もなく気が変わる性癖があったうえ、あの頃はバレエ一般に対して冷淡な態度を示しており、結局、興味を失った」。ロシアの古いお伽噺「イワン・ザレヴィッチ」と「火の鳥と灰色の狼」等、様々な素材を持ち寄り、振り付け・演出のフォーキンが台本の形に纏めあげたのは09年の秋。ディアギレフは、彼のバレエ団にとって、最初の実質的な創作バレエになる〈火の鳥〉の作曲を、彼自身が和声を学んだ師でもあるリャードフ(1855~1914)に依頼した。

重大問題が二つあった。先ず、興行主として翌10年の6月にパリ・オペラ座で、さらにロンドンで新作を上演する契約が既に結んであったこと。次に、リャードフは重鎮として力量は確かだったが、筆が遅いので有名だったこと。案の定、数週間後に訊ねると「五線紙は、買ってあるがね」という返事が帰ってきた。もっと以前から、新作を依頼するという打診だけはしてあったという説もあるようだが、ともかく、09年の冬の時点で音楽作品としての実体がゼロだったのは確かだ。

しかしディアギレフは、さすがに凄腕。こうした事態は既に想定済みで、新しいお伽話バレエについて無名の新星と相談していたのである。1908年、ディアギレフはペテルブルグで当時27歳のストラヴィンスキーの交響詩〈花火〉と〈幻想的スケルツォ〉を聞き、その才能に驚いて、1909年のパリ公演のための〈レ・シルフィード〉(ショパン)の中の〈夜想曲〉と〈華麗なるワルツ〉のオーケストレイション委嘱という形で、仕事ぶりも確かめてあった。

結局リャードフは降りることになり、12月、ディアギレフはストラヴィンスキーに「君が〈火の鳥〉を作曲することになった」と電話。ストラヴィンスキーは、「すでに取りかかっています」と答えたという。彼は3月に作曲を終え、翌月にはハープ3台に膨大な打楽器群を含む4管編成のスコアを書き上げ、4月半ばに(二、三の手直しは別として)完成作品をパリに送った。
初演は大成功で、観客は初めて耳にした28歳のロシア人作曲家に喝采を贈った。何度も舞台に引っ張り出されたストラヴィンスキーは「観客のまぶしさよりも、香水の匂いに圧倒された」という。

「私は最後の幕がおりた後にも、まだ舞台の上にいた。ディアギレフと、額の広い、色の黒い人物が近づいてきた。ディアギレフが、ドビュッシーだ、と紹介した大作曲家は、私の音楽について、あたたかい言葉をかけてくれ、最後に、私を夕食に誘った」

引用はR.バックル著『ディアギレフ』鈴木昌訳・リブロポート刊のものだが、物語の概要も引用させて頂く。

ストーリー概要

先ず、序奏が夜の恐怖をほのめかす。果樹園の暗がりを、光り輝くようなテーマにのって、火の鳥がすばやく横ぎる。火の鳥は、イワン王子の腕の中でもがく。やがて、月明かりの下、金のリンゴでキャッチボールをする王女と娘たちに、王子はそっと忍び寄り、円舞に加わる。夜が明けると、少女たちは慌てて魔法使いの城に帰ってゆく。後を追うイワンは門をこじあけて、カスチェイの中庭に入る。魔物たちが踊り、カスチェイはイワンを石に変えようとするが、イワンは火の鳥を呼び出し、火の鳥は「子守唄」を踊って、怪物達を眠らせてしまう。イワンは、カスチェイの魂が入っている卵を砕く。イワンと王女は結婚と戴冠を祝う。民謡は感謝の歌になり、大勢の貴族や兵士が舞台の上を行き交う。

作品の本質

物語は〈白鳥の湖〉に似ている。行きずりの王子ジークフリートが、悪魔ロットバルトによって白鳥に姿を変えられている姫達を発見。悪魔を倒し、王女オデットと結ばれるというのが〈白鳥の湖〉。但し、男女のペアをジークフリート&オデットから、王子イワン&王女ツァレヴナに置き換えれば済むわけではない。火の鳥がいるからである。

初演の時の主役は、もちろん火の鳥で、プリマのカルサヴィナが踊ったのだが、トゥ・シューズで爪先で立って踊るのは、火の鳥のみ。その他はみんな舞台を踏んで踊った。魔物たちが爪先で踊らないのは当然としても、ツァレヴナ姫や12人の乙女たちでさえ平足だった。ストラヴィンスキーの音楽も《火の鳥の嘆願》が最も濃密で、ロマン派オペラにおける愛の場面に匹敵するのに対し、ツァレヴナ姫はフルートのカデンツァを頂点に美の象徴的に描かれているだけで、〈白鳥の湖〉のようなペア同志の恋愛感情は淡白で、むしろ二義的と言っても良いほどなのだ。主役は完全に火の鳥なのである。

プロコフィエフのオペラ〈戦争と平和〉の上演の多くで、ナポレオン軍を撃退したロシアの民が掲げるのは金鶏の旗。そこには国鳥のイメージがある。日本で言うなら鳳凰か。手塚治虫の長編はあまりにも有名だが、ストラヴィンスキーが描いたような永遠の生を象徴するパワフルな鳳凰として筆者は、最晩年の北斎による巨大な天井画が思い浮かぶ。

ムソルグスキーが〈ボリス〉で描いたロシアの民の悲劇は、20世紀初頭の帝政ロシアでは極限状態に達していた。破裂寸前の圧力釜のようなこの時代、人々は不死の悪魔に何かを重ね合わせたことであろう。ストラヴィンスキーはその暗黒面を、多彩な打楽器群や弦のスルポンティチェロ奏法等を駆使し、醜怪極まりない怪物として音化した。後世の映画やアニメ等では、悪の化身が、更にどぎつく描かれてきたわけだが、音だけで、これほど恐怖と威圧感を与える例は少ないと思う。

一方、ディアギレフの創作集団がポジとして描こうとした不死鳥に、若きストラヴィンスキーは女性としての性を濃く注入し、『創造的な生』の力強い讃歌へともっていった。3大バレエの直後、革命が起き、帝政ロシアは崩壊。少なくとも、その時点でカスチェイの“暗黒の卵”が割れたのは確かだが、以後の歴史は、ご存じのとおりである。

一つだけ確かなのは、100年前の前衛性が、少しも古びていないこと。それは、今回、客席でお聴き頂ければ、頷いて頂けることであろう。そして終景に籠められた、新たな世界への希求も真実味を失ってはいない。少なくとも、筆者はそれを信じて振るつもりである。

 

タグ: ストラヴィンスキー

関連記事