アントン・ブルックナー (1824~1896) 交響曲第7番 ホ長調

楽章解説

第1楽章─ホ長調 2/2 ソナタ形式

本来、舞曲的な音楽だったアレグロ・ソナタ楽章としての第1楽章に、アダージョ楽章的な "歌う音楽" としての性格を採り入れようとするのはロマン派の交響曲の大きな潮流のひとつだが、この楽章は、それを抒情的な旋律美の中に成し遂げた見事な成功例と言えよう。

楽章全体の原型は〈エロイカ〉だが、ブルックナーはベートーヴェンのような直接話法的なヒロイズムではなく、遠くの山頂を仰ぎ見るような『憧れ』や『祈り』として描いた。弦の刻みによる神秘的な微光のなかから浮かび上がってくる第1主題①a-bはその象徴だが、先ず、21小節も続くフレーズの長さに驚かされる。交響曲でメロディ・ラインを記憶し易い名旋律として思い浮かぶモーツァルトの〈40番〉の第1楽章の場合でも19小節。しかも〈40番〉のようにリズム・パターンを反復することなく、ひたすら一途に歌い続ける構造は、アリアのようだ。

中低音から始まるこうしたタイプの(殆ど反復パターン抜きに)龍のようにうねり続ける主題にR.シュトラウスの〈英雄の生涯〉があるが、それでも17小節。しかも〈7番〉の①a-bが、ここで例示した曲と決定的に異なるのは、テンポ指定がアレグロ・モデラートと緩やかなうえに、伴奏をヴァイオリンの刻み(実質トレモロ)だけにすることによって、拍節感を意図的に抑えたこと。これによって、ステンドグラスから洩れてくる淡い光りの中に、ユニゾンによる聖歌が静謐な祈りとして立ちのぼってくるような、独創的な第一主題呈示部が出来上がったのである。

筆者が、この原型として思い当たるのは〈神々の黄昏〉の序幕における《夜明け》。管や低弦による和音の延ばしをヴァイオリンのトレモロに変えれば、ほぼ〈7番〉に近くなる。オルガンの響きを、そのままオーケストラに置き換えたようなコンセプトから交響曲に入った(〈00番〉〈0番〉は、〈タンホイザー〉を聴いた直後の63年に作曲)ブルックナーは時間をかけてワーグナー的な語法を習得し、20年後に、それをこうした成果として成就させたことになる。しかも、響き自体、ブルックナーのオリジナリティが感じられるところが重要なポイントだ。

①a-bは前半部①aと後半部①bからなっているが、指導動機的に見た場合、①aの冒頭4小節①xが、交響曲全体を有機的に結びつける循環主題、もしくはイデー・フィクス的な役割を担っていることに注目すべきである。①xを記号として見た場合、多くの研究者が指摘しているように『天国への階段』を象徴していると思われる。未完に終わった〈9番〉のアダージョ楽章の最後は、断罪的な不協和音で命を断たれた魂が、天上界に昇っていくように閉じられるのだが、そこでブルックナーは①xの変容である①yを用いて浄化された昇天のイメージを表しているのである。

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ブルックナーは、2つの主題からなるソナタ形式の基本型を拡大し、3主題制を採るようになるが(先例は複数あるにしても)直接的には、〈エロイカ〉の第1楽章がルーツと見做せよう。管によって呈示される〈7番〉の第2主題②aは、二つの点に注意すべきだ。一つは金管による8分音符の伴奏によって、初めてビート感が生じること。もう一つは旋律線の中核となっているターンの音型②x。ターン(刺繍音)は、バロック時代から使われていた装飾音の一つだが、ワーグナーはこれを〈リエンチ〉の《全能の神よ護りたまえ》や、〈タンホイザー〉でエリーザベトが愛するタンホイザーの命を救って欲しいと嘆願する《命乞い》の動機②b等で、真摯な祈りを象徴する主題として使い、後期になると〈トリスタンとイゾルデ〉の《愛の死》や〈ニーベルンクの指輪〉の《ブリュンヒルデ》の動機②c ②dのように中心的な主題として“記号”的な意味合いを、更に強めた。譜例は省略するが〈パルジファル〉では、それが更に“神への真摯な祈り”や“原罪に直結した苦悩”へと深化している。

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この第2主題を、当時のワーグネリアン達が聴いた時、こうした引用の意味は説明無用だったはずだが、②aは、曲が進んで、反行型(上下を逆転させた鏡像型)②a'に転じるに及んで、ブルックナーの嘆きが、いかに痛切なものだったかが、ほとんどオペラの告別の場面を観ているかのように伝わってくる。

第3主題は、木管がレガートで歌う下降音型と、弦がスタッカートで奏する飛び跳ねるような音型を重ね合わせた二重主題③。ブルックナーが常用したオスティナート(同型反復)による軽快な律動感が雰囲気を一変させ、それまでの二つの主題による重い感情表現を、一時的に緩和する。こうした台風の目に入ったような明るい空間に、鳥の囀りの描写を織り込む手法も、堂に入ったものだ。

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コーダには二つのポイントがある。一つは、コーダ直前の391小節~、第1主題の後半部①bに始まる悲嘆の山場で、初めて参入してくるティンパニ。この長大な第1楽章の途中には、普通ならティンパニを叩かせても当然の個所が幾つかあるのだが、ブルックナーは意図的に、その効果を封印し続け、391小節からトレモロで初めて叩かせたのだ。

第2楽章と同様、そこの練習番号はWagnerの頭文字「W」。聖書によると、キリストが十字架上で絶命した際、地震が襲ったという記述がある。ブルックナーは、ワーグナーの死をそこに重ね合わせ、地の揺れるイメージを表そうとした見るべきだろう。カラヤンやアーノンクールが、このE音(ホ音)のトレモロを、2台(2人)のティンパニで叩かせるのは、複数の撥によって打音が細分化されることで、音響的に地鳴りのそれに近づけようとしたと解釈できる。

もう一つは、この死の告知が終わった後のホ長調に転じた最後の長大な登り坂。自筆譜には④aのようにSehr ruhig(極めて静かに)の後にnach und nach etwas schneller(少しずつ、より速めていく)と書かれているのだが、この、いかにもロマン派的な演奏効果を煽るような加速の指令が、他のブルックナーの交響曲のコーダに較べると、様式的に違和感があるのだ。

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初演の翌年に早くも出版されたグートマンによる初版④b(1885年)は、これをそのまま印刷したが、第1次全集版の編集主幹のR.ハースは、これを弟子達の進言によるものと見做して④c(1944年)のように採用しなかった。一方、その仕事を受け継いだ第2次全集版(1954年)のL.ノヴァークは、ブルックナー自身による書き込みと判断して④bを復活採用した。

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我が国のブルックナー演奏の礎を築かれた故・朝比奈隆先生は、ハース版の支持者だったので、この加速の指示は採用されなかったのだが、その根拠として「少しずつ、より速めていく、という指示は事実だとしても、その到達点が示されていないのは疑問。例えば、マーラーのようにbis zum Schluss(最後まで)という意味なのでしょうか?」と、述べられていた。

この指示には、ブルックナーで常に問題となる曖昧さが象徴されている。ブルックナーは、例えば楽節の区切りを示すためのブレーキを意味するrit.の指示をよく書くのだが、それを戻すa tempoを忘れることが多いのだ。例えば、ある楽章にrit.の指示が何回も書かれているのに、a tempoが殆ど見当たらないような場合、杓子定規に演奏すると、どんどん遅くなって、止まってしまうようなことにもなりかねない。

ブルックナーは、運転に譬えるなら、カーブがあるような場合に、当然のごとく「減速せよ」と書く。それを曲がった先が直線道路なら、ドライバーは元のスピードに戻すだろう。しかし「いろは坂」のような曲がりくねった道が続くなら、速度を弛めたまま進まざるを得ない。ブルックナーは、そうした判断を演奏者の常識的なドライヴ感覚に任せているのだ。

実際、このコーダの録音を検証してみると自筆スコア④a=初版=ノヴァーク版に従って、最終小節まで加速を続けるアーノンクール等と、ハース版④cに従って、煽らないヴァントや朝比奈隆のような二派に分かれる。朝比奈がブルックナーの聖地ザンクトフローリアンで演奏した記念碑的なライヴなどは、むしろアラルガンドをかけたような雄大さだ。筆者は、その解釈に近いのだが、自筆スコア④aを全く無視するのも変なので、煽らない程度にアクセルは踏むつもりである。

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