昭和のマーラー
本日の演奏は、千葉フィルのこの曲の3回目の演奏となるが、千葉フィルがこの曲を最初に演奏したのは1994年のこととなる。時は既に平成であるが、昭和のテイストがまだあちこちに残る時代であったことは、その時代を生きた方には自明のことであろう。
昭和の時代、マーラーは難曲中の難曲であった。特に9番は、マーラーが(一応は)完成させた最後の作品であり、無に沈み込むような終結を持つ音楽的な内容と、「9番」という数字が持つ象徴的な意味によって、未踏の高峰ともいえる存在だった。それはプロオケも全く同じで、プロのオーケストラでもマーラーを、特に9番を演奏するというのは、特別なイベントだった。いわんやアマオケにおいてをや。アマチュアが9番を演奏するというのは、まだまだ非常に珍しいことであった。
しかし、千葉フィルにおいては悲願であった。結成以来、器楽のみの交響曲を演奏していき、遂に9番に取り組むこととなった。その演奏がどういう演奏であったかを問うても良いが、個人的には、千葉フィルがその後、何度もマーラーを演奏し続けレパートリーとしていることで、その演奏の意義は十分に推し量れると考えている。
平成のマーラー
時は下り、千葉フィル2回目のマーラー9番は2010年のこと。平成何年だかは分からぬが、1回目とは違い、本当に「平成」となった時代のことである。この時代、マーラーはオーケストラにとって通常のレパートリーになった。世界中で、こぞってマーラーが取り上げられるのみならず、指揮者もオーケストラも、マーラーがどれだけうまく演奏できるかがその力量を推し量るバロメーターの一つとなった程である。無論、アマオケでも数多くの演奏が行われるようになった。
いま思い返してみると、そういった時代の空気といったものは、確実に演奏に反映されていたように思う。当たり前のレパートリーになり、聞く側も演奏する側も格段の知識が付いた。しかし、難曲であることには変わりがない。確実に、前回とは違う演奏になったし、新たな魅力というのは付加することができたのではないだろうか。
そして再び、令和のマーラー
本日3回目となる、千葉フィルのマーラー9番。インターネットの普及はクラシックの演奏にも影響を及ぼしている。大体の曲ならば、古今東西の名演、そして最新の演奏もスマホから流れてくる時代である。キリル・ペトレンコがこの5月にベルリン・フィルでマーラーの9番を演奏したが、それは動画配信によって(幾ばくかの課金は必用であるが)簡単に目にすることができるようになった。当代最高のコンビがこの曲をどう演奏しているのかを、逐一、部屋でも公園でも電車の中でも、繰り返し見ることが出来るようになったのだ。昭和はもちろんのこと、平成でも考えられなかった話である。(ちなみにこの演奏はブライトコプフ新版を使用しているようである。)
先日、私と同世代のプロの演奏家の方と会話した際、最近の若い世代は非常にうまいという話になった。なぜかと考えたが、そこでの結論は、細かい部分においても、たくさんの良い手本となる動画に簡単にアクセスできること、という理由に落ち着いた。それはその通りだが、反面、個性が埋没しがちになり、また、良くない情報にも多くさらされることとなる。
クラシック音楽の魅力の一つは、同じ楽譜を、その時代その時代に応じて「読んで」いくことである。意識した個所はもちろん、無意識の部分でつい出てくる、時代の息吹や、影といったもの。そして、それは聴く側も同じである。膨大な音の情報の中から、何を聴き、何を心に残すか。それは、時代によっても異なるし、その人の年齢によっても異なるだろう。
何度も聴いてこの曲をよく知った人にも、知識もなく初めて聴く人にも。金子建志氏がこの曲を初めて聴いたのは、1970年のバーンスタイン指揮によるニューヨーク・フィルの演奏だったが、その時、金子氏はマーラーをほとんど知らない状態だったという。しかしそれでも、その演奏に強い感銘を受けたというのは、氏の著作にも書かれているし、ご本人からも伺っている通り。
今日のこの演奏が、皆さまへのこの曲の新しい出会いとなることを願って。