第66回演奏会 - 2022年1月16日(日) 13:30開演 会場:習志野文化ホール・指揮:金子 建志・演目:ドヴォルザーク/謝肉祭、ヒンデミット/画家マティス、ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」

グスタフ・マーラー (1860~1911)交響曲第3番 ニ短調 - 第Ⅰ部

第Ⅰ部

第1楽章 ニ短調→ヘ長調 4/4 〔森が私に語ること。夏が行進してやってくる。ディオニソス(バッカス)の行進〕 序奏部には〔岩山が私に語ること。牧神の目覚め〕とある。

総じて長大なマーラーの交響曲の中でも、飛び抜けて巨大な印象を与える楽章だが、基本的には序奏部付のソナタ形式を発展させた形で書かれている。ホルン8本の斉奏による冒頭の主題③aはブラームスの〈1番〉の終楽章の主題③bとの類似が指摘されるが、キリスト教初期の教会旋法的な特徴を具えているため、原野から挙がる雄叫びのような凄味がある。楽章間を同一主題で関連づける、循環形式的な配慮が成されているが、この③aは、第6楽章では多少、コラール風に姿を変えて、変奏曲の主題③cとして新たに主役を務めることになる。

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この序奏部で重要なのは、この③aの吹奏が終わると、絶壁から底の見えない谷底を覗き込んだ時のような『暗黒=死』のイメージが広がっていることだ。これはマーラーが、生命体の存在しない死の世界のような状況を設定し、そこに、仄かな光が当たって、植物が芽生え(第2楽章)、動物が誕生し(第3楽章)、人間へと進化(第4楽章)、人間の原罪への問いかけ(第5楽章)、悔悛と新たな肯定的生の出発(第6楽章)という進展を描いていたことと関係している。

この場合「無→生命の誕生→進化→生の謳歌」という図式を、〈復活〉や〈5番〉のように、順番に『死→生』の階段を上るように進めていくと、第1楽章は『暗』で終わることになる。しかし〈3番〉では、第1楽章で『暗→明』の図式を一旦完結させて歓喜で締め括り、後の楽章でそれを再び多面的に補足して長大なスパンで描き直す、という構成を採っているのだ。つまり〈巨人〉〈7番〉〈9番〉と同様、第1楽章に全体の概要が一旦、凝縮されてコアとなり、他の楽章がそれを取り巻くという『二重円環』的な構造なのである。

もう一つの特徴は『レチタティーヴォ様式』。その先駆者はベートーヴェンで、オペラ等で語り的に科白を歌うこの様式を器楽のみで実践。ピアノ・ソナタ〈テンペスト〉、ピアノ協奏曲第4番、交響曲第9番等で可能性を切り拓いた。マーラーは、その独白的な雄弁術を第1楽章で徹底的に追究。主役をトロンボーンとし、旧くから“神の言葉を代弁する天上のラッパ”として使われてきたこの楽器の象徴的な性格(典型がモーツァルトの〈レクィエム〉)を踏まえた上で、中心に据えた。つまり、虚無的な闇と対峙して『生命とは、人間とは、神とは何か?』と、自問自答する“智的な自我”という重責を託したのだ。

冒頭の③aも和音を伴わない単旋律なのでホルン1本で強奏させても済むのだが、それを8人のユニゾンで吹かせるのは(それ以降もホルンは『群団』的に咆哮する場面が圧倒的に多い)、トロンボーンのソロに対して『集団』対『個』という図式を明示する意図があったと考えるべきだろう。トランペットもそれなりに活躍するが、トロンボーンに較べると数人で吹いている場合が多く、準主役的な役割を留まっている。つまり、第1楽章の主役は、音量的にも三役となる金管群なのだが、抒情的な副主題部になると弦や木管にソロによる聴かせどころが頻出。その繊細なタペストリーの中に生命の誕生を見る思いがする。

もう一つの主役は打楽器群。マーラーの軍楽の使い方は、作品1のカンタータ〈嘆きの歌〉で既に明らかになっている。「兄に殺された弟の骨が、笛になって兄の婚礼の席で真相を暴露する」という話だが、死者となった弟の霊の側に立って戦うのが舞台裏のオーケストラ(金管+打楽器群)で、そこには『黙示録的な神の軍』という意味づけが成されている。それを継承したのが〈復活〉の終楽章。『最後の審判』の際、舞台裏の軍楽は、『善』の側に立って、死者達の霊と共に戦う。

もちろん、舞台上のオケの中で音響効果的に使われる軍楽がメインなのだが、この〈 3番〉の場合、舞台上で叩かれているからといって、現実世界の軍隊のそれとは限らない。序奏が一旦静まって最弱音に収斂していく際、ブリッジを務めるのは大太鼓だが、その不気味なソロに、現実の軍隊のそれを見ることはできない。明らかに、彼岸の暗闇から『黙示録の軍隊』が、葬送のリズム(〈運命〉主題)によって死の世界へと導いたのである。それ以後も、こうした現実世界と黙示録的な世界との行き来は、打楽器を仲介役として何度も試みられる。

テンポ的には、緩やかな序奏部とアレグロ主部の間を行き来しながら発展していくのが特微だ。「序奏部→主部」というベクトルで進み、ようやく巡航速度に入ったかなと思うと、原風景に戻って再スタート、という繰り返し。〈巨人〉の第1楽章と同様、コーダに向かって加速していく“序破急”的な構造が根底にあるが、最高速に達する頂点は、中央とコーダの二回。特に斬新なのは、一回目の頂点となる展開部の後半のクライマックス。整然とマーチ・テンポで行進してきた歩兵部隊に、日本風に言うなら“春一番”が吹き荒れ、鳥達は、その強風に驚いて、様々な方向に飛び去る。更に騎兵隊が新たに加わって、全体の動きはダイナミックに加速する(西部劇『ダンディ少佐』で、このシーンのファンファーレとそっくりな主題が使われていたが、マーラーから採ったのか、更なる原曲が存在したのかは不明)。

戦場と嵐が重なったような凄まじい騒乱状態に突入するこの山場で、音楽本体は、4拍子を維持したまま加速。その頂点を過ぎると低弦だけになってフェードアウトしていくのだが、消え去る刹那、舞台裏から小太鼓群が全く別のテンポで新たな行軍を告げる。
あたかも、大混乱に陥った歩兵部隊が、「整列!」の号令一下、隊列を組み直して、再び進軍を開始したかのようだ。このマーチング・バンド的なテンポを受けて、冒頭の8本のホルンによる主題が再現するのである。アイブズの先取りだ。

この楽章で、もう一つ聞き逃してはならないのは「ロマネスカ・バス」。4度音程を特徴とするこの音型の歴史は古く、ルネサンス以前から神を賛美する主題として使われてきた。ロマン派前後に限っても、ブラームスの〈2番〉の第4楽章、フランクの〈前奏曲、コラールとフーガ〉、ワーグナーの〈パルジファル〉、シベリウスの〈カレリア〉序曲等国籍を越えて使用例は膨大。マーラーは〈巨人〉でイデー・フィクス的な中心主題④として、既に用いている。

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この第1楽章では展開部の492小節~⑤のように、副次的な対旋律として用いる場面が多い。⑤は、清流や若葉の緑の中に神を見るような場面だが、既出の主題がスクラムを組んだかのような整列縦隊で大行進を開始するコーダ(816小節~)では、そのメーデー的な歩み(実際にマーラーは、そうした行進に加わったという)の中に、⑥のように「ロマネスカ・バス」を木管に対旋律として忍ばせている。

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