マーラー (1860~1911) 交響曲第2番ハ短調 《復活》

 

ビューローの葬儀とクロプシュトックの詩による合唱の導入

1891年11月、マーラーは当時の大指揮者ハンス・フォン・ビューローに《葬礼》を自らの演奏するピアノで聞かせているが、この時のビューローの反応は酷いものであったらしく、革新的な音楽として物議をかもしていたワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》をビューローは引き合いに出し、「彼は神経に障ってように驚いて、《トリスタン》も僕の曲と比べたらハイドンの交響曲のようなものだ、とのたまわって、狂人のようなしぐさをしたよ」とマーラーは知人への手紙にこぼしている。マーラーの音楽はそこまで革新的なものであった。マーラーの手紙によると、ビューローはマーラーの指揮にひどく感動し、マーラーに対して非常に丁寧に接したのだという。それで、自分の作曲した音楽をビューローに演奏してもらえるのではないかとマーラーが期待してビューローに《葬礼》を聞かせたら、これである。とはいえ、マーラーは自分の作品が革新的で人にショックを与えるものであったことは十分に認識していたようで、先の手紙をいささか自嘲的な調子で締めくくっている。また、これで大指揮者ビューローへの敬意が揺らいだ訳でもなかった。

ビューローは旅先のカイロにて客死する。1894年2月12日のことだった。マーラーはこの知らせに深い衝撃を受ける。3月29日、ハンブルクにて葬儀が行われたのだが、この葬儀はマーラーに大きな転機をもたらすものとなる。このビューローの葬儀は、大音楽家の葬儀だけあって音楽の演奏がそこかしこに散りばめられたものだったらしいが(バッハの《マタイ受難曲》や《ヨハネ受難曲》からも数曲が演奏されたらしく、当時のバッハ受容のあり方が伺えるようで興味深い)、マーラーは教会の少年合唱団がクロプシュトックの詩による讃歌を歌っているのを聞いて、その歌詞を作曲中の交響曲の合唱に使うことを思いつく。クロプシュトックとは18世紀のドイツで活躍した詩人で、マーラーが耳にした音楽は、クロプシュトックの詩によるコラール《復活》だった。マーラーによると、それは天啓のようなものであったらしく、マーラーはそのコラールを耳にすると同時に激しい衝撃を受け、「稲妻のように私を貫き、そしてすべてが鮮明にはっきりと私の目の前に立ち現れた」と知人への手紙に書いている。ビューローの葬儀の時点で行き詰まっていた最終楽章だが、この「天啓」でコンセプトが固まったことにより作曲の筆は再び進むこととなる。葬礼のあとの、復活。第一楽章で展開した物語は見事に回収され、音楽は感動的な大団円に向かってひたすら上昇していく。マーラーは壁を乗り越えることが出来たのだった。

第5楽章は6月中に完成。リヒャルト・シュトラウスにあてた1894年7月19日付のマーラーの手紙には、この数週間のうちに交響曲第2番が完成したと書かれている。まず、声楽を含まない最初の三つの楽章が1895年3月4日に演奏されている。その後、1895年12月13日に全曲初演。当然、指揮はマーラー自身が担当。演奏は両方ともベルリンフィルハーモニーによるものだった。大規模な楽器編成と大人数の合唱と独唱者、特殊な楽器も多くその演奏は多額の費用がかかるものであったが、ベーンの資金援助もあってマーラーはなんとか初演にこぎつくことが出来た。その甲斐あってか、初演は大成功だったという。

マーラー自身はこの交響曲に《復活》という題名を付けたことは無い。しかし、そのコンセプトから大きく外れるものでもないため、ここでもこの通称を使用することにする。もちろん、ベーン編曲による2台ピアノ版の楽譜にも《復活》という題名は無い。そこにあるのは ”SYPHONIE in C-moll No2 von Gustav Mahler” という文字である。

この原稿を執筆直前、インターネットで興味深い記事を読んだ。キャプラン財団が所有していたマーラー自筆の《復活》の総譜がオークションで売りに出されるという。この楽譜は実業家で《復活》専門の指揮者だったギルバート・キャプランが創設したキャプラン財団が保有しているもの。ギルバート・キャプランは事業で成功して巨万の富を得ると、愛してやまなかった《復活》を指揮する為に指揮を学び、自費でオーケストラを雇い《復活》を演奏し続けたという人物。素人でありながらその話題性もあって、キャプランがロンドン交響楽団を指揮した《復活》の演奏を録音したCDは高い売り上げを記録し、キャプランは《復活》だけを指揮するために世界各国のオーケストラから呼ばれるようになった。日本でも新日本フィルハーモニーを指揮しているが、ついにはマーラー自身も指揮をしたウィーン・フィルをも指揮し、その演奏はCDにもなってる。

そのような驚くべき経歴を持つキャプランであるが、キャプランはそれに留まらず、自筆譜を始め関連資料を徹底的に収集し学術的な研究をも手がけた。その成果はマーラーの校訂版の楽譜を編集する国際マーラー協会も認めるところとなり、国際マーラー協会による《復活》の最新校訂版の楽譜はキャプラン編のものである。本日の演奏もこの楽譜を使用するが、実はキャプラン自身は今年の1月1日にこの世を去っている。キャプランの死後、キャプラン財団で《復活》の楽譜を持ち続ける理由が無くなったのだろう、オークションに売りに出される次第となったようだ。予想落札価格は500万ドルから700万ドル。日本円にして幾らになるのかは考えたくもないところだが、実際、どこが手に入れることとなるのだろうか。キャプラン財団はかってこの自筆譜のカラーファクシミリ版を1000部限定で出版したが、新しい所有者はネット上で無料公開でもしてくれれば嬉しいところである。(ネット上で自筆譜が無料公開されている有名曲は、思いのほか多い。)あまり期待は出来ないが、それでもほのかに期待をしつつ、オークションの結果を待つことにしよう。

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