マーラー (1860~1911) 交響曲第6番 「悲劇的」

drum-thumb映画監督ルキノ・ヴィスコンティの初期作品に『夏の嵐』という作品がある。マーラーに強く魅了されたヴィスコンティは『ベニスに死す』でマーラーの交響曲第5番の第4楽章を使用しマーラー普及に一役買うことになるのだが、『夏の嵐』ではブルックナーの交響曲第7番の第2楽章を使用している。イタリア名門貴族の家に生まれたヴィスコンティにとってオペラをはじめとするクラシック音楽は非常に身近なものであり、その作品にクラシック音楽が使われるというのは特に奇異なことではないのだが、ヴィスコンティの時代、マーラーもブルックナーも今ほど一般的に聞かれる存在ではなかった。ちょっと特殊な作曲家扱いだったのである。

ヴィスコンティがどのようにしてマーラーやブルックナーに馴染んでいったのかは興味深いところであるが、それはともかくとして、この『夏の嵐』、そのストーリー自体は陳腐なメロドラマの域を出るものではない。それを芸術作品の域にまで高めたのはまさにヴィスコンティの力技であるが、以前この映画を見ていた時、ラストシーン近くで非常に驚くことがあった。未見の方の為にストーリーをつまびらかに語ることはやめるが、時は19世紀後半、舞台はイタリア統一運動。主人公の公爵夫人が愛したオーストリア軍の将校フランツは、最後、銃殺刑に処されるのだが、フランツを処刑した銃殺隊が去っていく時の行進の小太鼓のリズムが、マーラーの交響曲第6番の基本動機と言って良いリズムとほぼ同じなのである(別稿参照、譜例④の「リズム主題」R)。これは本当に当時のオーストリア軍の行進の際に使われていたものなのか(しかも銃殺!)、実際に使われていたということはなく、ただヴィスコンティがこの映画の為に作ったものなのか、今現在確かめることは出来ていないのだが、どちらもあり得る話ではある。マーラーは幼少の頃、現在はチェコにあるイフラヴァ(ドイツ名イーグラウ)という街に住んでいたが、ここでのマーラーの家はオーストリア軍の兵舎の近くにあった。ここから聞こえてくるラッパや行進の軍楽といったものは幼きマーラーの脳裏に深く刻み込まれ、後年になってマーラーの作曲した音楽の中に姿を現すことになる。交響曲第6番のこの基本動機がオーストリア軍の行進の軍楽に使われていたリズムであるということは、十分考えられる話である。また、特にそのような事実はなくとも、ヴィスコンティがマーラーの曲からこのリズムを取ってこの場面にわざわざ使用したということもまた、十分あり得るのだ。実際のオーストリア軍の軍楽がどうだったかは関係なく、ヴィスコンティはこのリズムをこの場面にどうしても使いたかったのかもしれない。銃殺刑による死の場面の後に。

ウィーンの宮廷歌劇場の芸術監督を務めていた頃のマーラーは公私ともに非常に充実していたのだが、その時期に作曲した交響曲第6番が、非常に重くシリアスで、かつ暗い曲調のまま終わる為、この交響曲第6番は「この後に起こる悲劇を招くもの、悲劇の前触れ」として物語的に解釈されることもある。その解釈は実は妻アルマに端を発しているのだが、しかし、そういう物語的解釈に陥るとマーラーの狙いが見えにくくなってしまう恐れがある。この6番はマーラーの交響曲の中では珍しい4楽章形式。5楽章や6楽章まで持った大規模な交響曲を作曲し続けていたマーラーにとっては、久しぶりに交響曲の古典的な形式に立ち戻ったこととなる。4楽章形式のマーラーの交響曲は1番、4番、6番、9番となるが、このうち、1番はもともとは5楽章形式のものとして構想され、4番は交響曲第3番の一部として構想されたものが、3番があまりにも巨大なものとなりすぎたので別の交響曲として仕立て上げられたものだった。そのため、最初から4楽章形式の交響曲として構想されたのは、マーラーの場合この6番が初めてとなる。

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