犯罪者が常軌を逸した化け物に遭遇するというのは、映画でも、古くはヒッチコックの〈サイコ〉や、ホラー映画によくあるパターンだ。この物語も、3人のチンピラが女を囮に強盗を企む、という現実的な犯罪に始まるが、被害者のはずだった役人が、思いもかけない異常な怪物だと判ってくるに従って、攻守が逆転し、非現実的な世界に入りこんでゆく。
〈魔笛〉と同じく、3という数字がキーワードになっており、ならず者も、ひっかかる鴨も3人。さらにモティーフや重要な音型も3回繰り返されることが多い。前半の “3回の客引き” と 後半の “3回の殺人” がシンメトリーを形作り、どちらも3回目が思いもかけない事態に発展し、クライマックスを形成する(バルトークは、原作では4回だった殺人を3回に直した。ここにも3への拘りが示されている)。不協和音を生みだす3全音(増4度=減5度)の嗜好も同様であろう。
今回の版
バルトークは全曲版のスコアの前半部に、幾つかの接続部を飛ばす指示を書き込んで組曲版とし、音楽的には最大の頂点となる『追いかける役人』で終わらせている。これは〈火の鳥〉の最初の組曲1911年版を《カスチェィの魔の踊り》で終わらせたストラヴィンスキー、〈ロミオとジュリエット〉の第1組曲で《タイボルトの死》を終曲に置いたプロコフィエフと全く同じ。バレエの組曲版は、今で言えば映画の予告編。本編で一番スリリングな山場で終わらせて、曲を印象づければ良いというのが共通したスタンスだった。しかし、バルトークがカットした接続部は総計でも3~4分に過ぎず、しかもストーリー的には肝になる場面が含まれているので、全曲版をそのまま演奏し組曲版と同じ『追いかけ』で締め括ることにした。
1. 導入部
ヴァイオリンによって3全音を含む機械的な輪転音型①が繰り返され、都会の喧燥を描写する。この①は、前半のレ以降が①aのように完全4度になっていれば普通のト長調の音階だが、頂点のソに#を付けることで、①b 3全音(増4度=減5度)となる。『3全音=トリトゥヌス』は従来の西欧音楽が、最も嫌っていた音程だが、〈ウェストサイド・ストーリー〉の冒頭で敵対する若者グループの象徴としてイデー・フィクス的に使ったバーンスタインのように、20世紀以降の作曲家は『不協和』『対立』『悪』などのシンボルとして積極的に使用するようになった。3全音は冒頭①だけではなく、〈中国の役人〉全体で、根幹的に扱われている。
2. 3人のならず者の企み
スラム街のアパートの一室。3人のならずものが金繰りの算段をしている。②『第1のやくざ』=ヴィオラはポケットを探し、③『2番目のやくざ』=ヴァイオリンは引き出しを探すが、何も無い。ベットから起き上がった④a『第3のやくざ』=トロンボーン+テューバは、少女に窓辺に立って男を誘え、と強要する。
バルトークはこの〈中国の役人〉で、バロック以前から神の声を表す楽器として使われてきたトロンボーンを、敢えて悪(反神)の象徴として使う。第3のやくざがしつこく強要する後半部④bは、この楽器特有のスライドによるグリッサンドgliss.が特徴。20世紀になって盛んに使われ出したこの技法は、この後『カモの老人』『中国の役人』でも効果的に使用され“人間や社会の暗部”を象徴的に示すことになる。
ここで初めて⑤『嫌がる娘』がヴァイオリンの高音域で登場するが、初め拒んでいた娘は結局、従う。バルトーク自身が編曲した組曲版だと、この娘が、嫌々ながら登場して客引きに立つまでの、心理描写が主題⑤ごとカットされてしまうので、音楽的にもストーリー的にも大問題。今回、組曲版を採用しなかった理由は、このカットを復元して、物語の展開を本来の形で伝えることが主眼だった。
3. 1度目の客引き(鴨は老人)
窓辺に立って、嫌々ながら客引きを始める娘は、1番奏者のソロを中心としたクラリネット群によって表わされる。譜例⑥(上声部=クラリネットはハ長調に移調してある)『空虚5度』として嫌われる完全5度の音程をすくい上げるように、おずおずと始まるクラのソロは、次第に速い上下動による大胆な表現に変わってゆく。一方、伴奏部は『3全音=トリトゥヌス』。この増4度の伴奏音型が先に始まり、それに乗ってクラのソロが歌い出すという始まり方は、以後、3回目の客引きまで共通している。
最初の鴨となった老人はトロンボーンのグリッサンドが特徴的な⑦。文無しだが「金なんて問題じゃない。大事なのは愛だ」⑧(コール・アングレ)と迫るが、男達に放り出されてしまう。トランペットが半音でぶつかる6/8拍子の暴力的なトゥッティが、以後、3回とも小コーダとなる。
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