第67 回演奏会 - 2022年7月24日(日) 13:30開演 会場:習志野文化ホール・指揮:金子 建志・演目:ムソルグスキー/交響詩「禿山の一夜」、ボロディン/「ダッタン人の踊り」、ブルックナー/交響曲第4番

チャイコフスキー(1840~1893) 交響曲第1番ト短調 op.13 《冬の日の幻想》

young-tchaikovsky「チャイコフスキーがブルックナーに似ている」と書くと疑問に思われる方が多いだろう。一つは、作品の多くが関係者の酷評や提言によって改訂されていることだ。ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲〈第1番〉、〈白鳥の湖〉等の代表的な名曲がそうで、チェロの〈ロココの主題による変奏曲〉のように、変奏曲の順番の入れ換えを含めたチェリストによる改訂版が完全に定着してしまっている曲もあるくらいだ。

この最初の交響曲も“産みの苦しみ”を味わった曲の典型。後のモスクワ音楽院で和声を教えることになったチャイコフスキーは1866年(26歳)の春から夏にかけて、未完の第1稿をペテルブルグ音楽院での恩師、ルビンシテイン兄弟の兄アントン(1829~94)とザレンバ(1821~79)に示して意見を仰いだところ、批判を浴びたため、秋から冬にかけて改訂し第2稿を作成した。それも再び、二人に批判されたものの「第2楽章と第3楽章だけは、演奏に値する」と判断された。9月に正式開校されたモスクワ音楽院の院長に就任したルビンシテイン兄弟の弟ニコライ(1835~81)は、チャイコフスキーの才能をより高く評価していたため、同年66年12月10日モスクワで、第3楽章スケルツォを単独初演し、翌67年2月11日にペテルブルクで第2・第3の両楽章を指揮した。全曲は同じくニコライ・ルビンシテインの指揮で68年2月3日にモスクワで初演されたのだが、その段階までに両端楽章が改訂された。

その第2稿による全曲初演は「交響曲は大きな成功でした。アダージョは特に称賛されました」(チャイコフスキー)「交響曲は我々(チャイコフスキーの友人達)の期待を越えて聴衆に温かく迎えられた」(カシュキン)のように、成功だったのだが、チャイコフスキーはユルゲンソンがスコアの出版を決めた74年秋以降に短縮を主眼とした改訂を加えて第3稿とし、それが1875年初頭に出版された。第3稿は83年11月19日モスクワで、マックス・エルドマンスデルファーの指揮によって初演された後、88年にパート譜が出版されたが、間違いが多かったためチャイコフスキーは、スコアも含めて誤りを修正した。これがその後、一般的に演奏される版として定着した。

こうした場合問題となるのは改訂の年月が隔たれてしまうと、その間に作曲者自身の成長によって根本的な変化が生じてしまうことだ。〈1番〉の場合も、第1稿の66年と第3稿のパート譜出版(修正)の88年の間には22年もの開きがある。88年は交響曲の〈5番〉完成・初演された年なのだが、ここに我々が演奏する段階での根本的な問題が生じるのだ。 興味深いデータがある。ペテルブルグ音楽院の学生時代のチャイコフスキーの成績だ。作曲理論と管弦楽作曲が『秀』、ピアノ演奏『優』、オーケストレーション『良』、指揮『可』。注目すべきは最後の指揮が『可』という点。チャイコフスキーは作曲家としての人気が高まってきてから、自作の指揮者としてオーケストラに招かれ、指揮台に立つ機会が増えた。その結果、恐らく、オーケストラという集団が、なかなか思うようには動かないやっかいな生き物だという現実を思い知らされたのだろう。指揮経験に比例するかのように、後期の作品になるほどスコアにおけるテンポ指示が細かくなり、演奏段階で目指すべき表現が濃厚でロマンティックになるのだ。例えば〈5番〉や〈6番・悲愴〉のスコアに於ける指示を、初期の作品と較べると別人の感がある。そこには、ブルックナーに於ける自筆の第1稿と、弟子達によって改竄された改訂版のそれに匹敵するような違いが生じているのだ。

〈1番〉の場合、問題なのは88年にパート譜の校正を行なった時点でのチャイコフスキーは、明らかに指揮経験を経て“書き込みにうるさくなって以降のマエストロ”であること。しかし、〈1番〉のスコア(今日、演奏する第3稿)を見る限り、後期のような細かい指示はみられず、チャイコフスキーが駆け出し作曲家時代の自作に対して、その作曲時点の書法を尊重した校訂を行なっていることが明らかになる。つまり、演奏段階での指示に関しては実に淡白なのだ。

それを象徴しているのが終楽章のコーダ。トゥッティ(オケ全体の合奏)によって勝利の讃歌が延々と続くこの長大なコーダは、〈1番〉全体で、最も演奏上の工夫を要する難所となっている。「アレグロ・ヴィヴォ」とあるコーダ冒頭の後、途中で一箇所だけテンポを上げる意味の「ピウ・アニマート」があるのみ。デュナミークも上から下まで全パートにffが印刷されている小節が2個所あるだけなのだ。

このコーダの淡白なスコアリングについては、個人的な思い出がある。FMの解説で、この〈1番〉の収録をしていた時のこと、たまたま別の仕事でNHKに来ていた柴田南雄先生がスタジアを覗かれた。ちょうど開いていたこのスコアのコーダを見て、開口一番「こういうスコアは羨ましい!」と言うのだ。指揮をするのに楽だといのではない。たまたま自作のスコアの仕上げ段階の作業をしていらしたようで、このコーダのように何も書いていないスコアだったら、さぞ楽だろうというのだ。柴田先生に限らず現代音楽のスコアを開いて、その両ページに、言葉による指示はおろか、デュナミークすら全くない“音符だけの”スコアは皆無といっていい。ところが〈1番〉のコーダの場合は、その“音符だけの”スッピン状態のスコアが十数ページに亙って続くのだ。

これと、そっくりなのが、1876年に作曲された〈白鳥の湖〉の終景。実際の演奏では、緩急の変化が大きく、ロマンティックにうねりながら劇的な頂点が築かれるのだが、実は、そうした要素はスコアには殆ど書かれておらず、歴代の指揮者達によって積み上げられてきた演奏段階での演出なのである。〈白鳥の湖〉のスコアも初期様式のスッピン状態なのだ。〈1番〉のコーダの解釈がCDによって違いが大きいのはこうした理由によるのである。仮に、スコアどおり何も付加せずに演奏した場合は、ブルックナーの〈5番〉のコーダを対位法抜きで引き延ばしたかのような平板な音楽になってしまうので、今回の演奏では、こうしたことを踏まえて、私なりの解釈を加えて演奏するつもりである。

これと、そっくりなのが、1876年に作曲された〈白鳥の湖〉の終景。実際の演奏では、緩急の変化が大きく、ロマンティックにうねりながら劇的な頂点が築かれるのだが、実は、そうした要素はスコアには殆ど書かれておらず、歴代の指揮者達によって積み上げられてきた演奏段階での演出なのである。〈白鳥の湖〉のスコアも初期様式のスッピン状態なのだ。〈1番〉のコーダの解釈がCDによって違いが大きいのはこうした理由によるのである。仮に、スコアどおり何も付加せずに演奏した場合は、ブルックナーの〈5番〉のコーダを対位法抜きで引き延ばしたかのような平板な音楽になってしまうので、今回の演奏では、こうしたことを踏まえて、私なりの解釈を加えて演奏するつもりである。

なお《冬の日の幻想》という全曲のタイトル、および第1・第2楽章の標題はチャイコフスキー自身によっている。

  • 1
  • 2

タグ: チャイコフスキー

関連記事