第66回演奏会 - 2022年1月16日(日) 13:30開演 会場:習志野文化ホール・指揮:金子 建志・演目:ドヴォルザーク/謝肉祭、ヒンデミット/画家マティス、ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」

ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》より

ワーグナーとドイツ・ナショナリズム

隣国フランスが中世以来、強大な王権を抱く一つの王国として纏まっていたのに対し、ドイツ・オーストリアは中小様々な王侯貴族や皇帝が統治する政治勢力の集まりだった。しかし、フランス革命に影響される形で、ドイツ人として一つの国を持とうというドイツ・ナショナリズムが生まれる。ワーグナーはドイツ・ナショナリズムを終生に渡って持ち続けてきた人間だった。しかし、ワーグナーは政治家でなかったこともあり、その論理は厳密なものではなく、主張も時期により大きく変遷している。

そもそも、若き頃のワーグナーは共和主義者であり、王政打倒を唱えていた。この時期のワーグナーにとってのドイツは、まだまだ具体的なものではなく、文学的な趣さえ感じさせるユートピア的なものだった。しかし、この空想を現実に変えるチャンスがやってきた。王政打倒とドイツ統一を唱えた1848年のドイツ三月革命の際、ワーグナーはこの革命に参加し、革命側において主導的な役割を担っている。しかし、革命は鎮圧され、ワーグナーはスイスのチューリヒに亡命する。

その後、当時のドイツの強国の一つ、バイエルン王国の国王ルードヴィヒ2世がワーグナーに資金援助を申し出るのだが、その際、かっての王政打倒の主張は若気の至りといったもので今はそんなことは全く考えていない、と文章にしたためている。恐ろしいほどの変わり身だが、ワーグナーにとっては自らの芸術が最優先事項だった。そして、自らの芸術に自信を深めたワーグナーは「私は最もドイツ的な人間である、私はドイツ精神である」と称するまでに至った。そしてそんな自分の芸術を崇拝するルードヴィヒ2世に「ドイツ」の理想を説く。

ドイツ統一が現実味を帯びるこの時期、ワーグナーはルードヴィヒ2世に影響を与えることにより、理想のドイツを作り上げようとする。ドイツ統一の最も大きな勢力はプロイセン王国だったが、ワーグナーはプロイセンを激しく嫌っていたし、ハプスブルク家の皇帝が率いるオーストリアはイタリアやカトリックにかぶれて本来のドイツを見失っているとして、ワーグナーの中ではドイツ統一の中心にはなり得なかった。自らの芸術を理解するこの若き国王に率いられたバイエルン王国こそ、真のドイツを確立する存在となるはずだった。

しかし、バイエルン王国でワーグナーは敵を多く作り、遂にはルードヴィヒ2世はワーグナーをバイエルン王国から追放せざるを得なくなる。その後、プロイセンとオーストリアが戦いプロイセンが勝利、ドイツ統一の主導権をプロイセンが握るようになると、ワーグナーはプロイセンにラブコールを送るようになる。特に、バイロイト祝祭劇場の建設を目指すワーグナーにとっては、プロイセンから資金援助を引き出すことが至上命題となった。しかし、プロイセンの宰相ビスマルクは徹底したリアリストで、政治的価値のない者には一瞥もくれなかった。かってはルードヴィヒ2世との関係強化のためにワーグナーの利用価値もあったものだが、プロイセンが完全に主導権を握った今となっては、何の価値もない。さらにビスマルクは、音楽にまるで興味のない人間だった。絶望するワーグナー。そしてワーグナーは現実のドイツに本来のドイツ、ワーグナーが理想としたドイツは無いとして、新世界アメリカにこそ理想の「ドイツ」があると語り始めるのである。。。(以上は、吉田寛『ヴァーグナーの「ドイツ」 超政治とナショナル・アイデンティティの行方』青弓社、2009年、に詳しい。)

ワーグナーの音楽と現実社会の不気味なリンケージ

このように、ワーグナーのドイツ論は錯綜しているが、どのように言葉を繕うとも、あくまで自分の芸術を理解する地こそが「ドイツ」であると考えていたといって良いかもしれない。こう考えると、ワーグナーの音楽を国を挙げて愛好する現在のドイツは、ついにワーグナーの理想が実現したドイツなのかもしれない。ワーグナーが死んだ時点では資金難からバイロイト音楽祭の存続が危ぶまれていたほどだったが、その後、ドイツ人はワーグナーを国家統合のシンボルの一つとして扱っていく。それはナチスドイツ時代において顕著だったように思われるが、それはその後においてもいささか変わりはないだろう。バイロイト音楽祭の初日は、ドイツ政財界の大物が訪れることが恒例になっているという。ワーグナーが理想としたドイツがここに誕生したのだろうか。

しかし反面、ワーグナーは常に現実に満足することなく、理想を追い求めた人間だった。もしワーグナーが現在のバイロイトの様子を見ることが出来たらならば、理想が実現したと感涙にむせび泣くのだろうか。それとも、ここに集まった聴衆は私の音楽を本当に聞いてはいない、理想の聴衆ではないと言って不満をぶちまけるのだろうか。いずれも、確かめようのない if の話である。ただ、ワーグナーの死後、まるでワーグナーの意思を実現すべくドイツが変化していった様を辿ると、そこには《トリスタンとイゾルデ》の創作とワーグナーの実生活にあった、どちらがどちらに影響したのか定かではない不気味なリンケージが見て取れるようでもある。現実を侵食するワーグナーの音楽。それはワーグナー自身も侵食されたほどであった。

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