ベートーヴェン (1770~1827) 交響曲第5番 ハ短調 〈運命〉 作品67

〈運命〉という俗称と、それが与えた影響

ベートーヴェン自身が標題をつけた交響曲は第3番〈エロイカ=英雄〉と第6番〈田園〉の2曲。〈運命〉というのは、ベートーヴェンが冒頭部①について「運命は、こう扉を叩く」と語った、と弟子のシンドラーが伝えたことに由来する俗称なのだが、これに関して、欧米と日本では扱いが正反対なことは良く知られている。一番はっきりしているのがCD等のジャケットで、邦盤では〈運命〉という表記が既定事実化しているのに対し、外盤で「Schicksal(独)」や「Fate(英)」とクレジットされている例は皆無に近い。但し、解説には使われているし、実際、ロマン派以降の作曲家達は「運命」という意味を含めて、この曲の冒頭主題を様々な形で引用しているのである。

 

 

beethoven-sym5-fig1

最も直接的なのは、そのものずばり〈運命〉と題されたラフマニノフの歌曲で、「運命は、こう扉を叩く」という歌詞とシンクロする形で冒頭の『運命主題』が何度も反復される。ヴェルディの歌劇〈運命の力=La forza del destino〉は、タイトルだけでなく主題としても意識的に使用されている例の典型だ。ちなみにdestinoは英語のdestiny。映画〈スター・ウォーズ〉の中で「これがお前に “定められた運命 = destiny” なのだ!」という名台詞と繋がる。

ギャグっぽく使う例は数えきれない。例えばR.シュトラウスは〈商人の鑑〉と題した歌曲集(全12曲)の中で、安い作曲料しか支払わずに楽譜を出版しようとする大手出版社を『運命主題』で皮肉り、〈ばらの騎士〉の第Ⅲ幕では、好色なオックス男爵がオクタヴィアンを誘惑しようという部屋に、警官が踏み込んでくる際“部屋の扉をノックする”音と、“断罪が下された”という二重の象徴として②のように使用している。

beethoven-sym5-fig2

昨年の定期で取り上げたファリャのバレエ〈三角帽子〉では、粉屋の女房に目をつけた代官が、粉屋を無実の罪で捕らえるために部下の警官を粉屋に向かわせる。その扉を叩く場面は①そのものだ。ラヴェルの〈スペインの時〉は、もっとコミカルだが、そうした例は枚挙に暇がない。

ともかく、後世に引用された曲のベスト1なのは間違いないはずだが、この〈運命〉という俗称で問題なのは、『人が、それぞれに定められた宿命と向き合い、激しい闘いの末、最後に勝利をおさめる』という、自己完結的なドラマとして捉えてしまい易いことだ。特に我が国では、ベートーヴェンの生涯を『苦難をとおして歓喜へ』という図式から偉人伝的に捉える教育が行なわれてきたので、〈運命〉は、それを象徴する曲として語られることになる。実際に筆者もロマン・ロランの著作等を介して、そうしたベートーヴェン像から音楽の道に進んだ世代の一人なので、それを乗り越えるのには時間を要した。結論から言うと、後述するように、社会的・思想的に訴えようとした側面が、背景に追いやられてしまうため〈運命〉と呼ぶのは反対なのだが、ただの「交響曲第5番」では誰の曲か分かり難いうえに、無駄に字数を食ってしまうという現実的な事情もあるので、便宜上〈運命〉を使うことにしている。

 

タグ: ベートーヴェン

関連記事