ベートーヴェン (1770~1827) 交響曲第5番 ハ短調 〈運命〉 作品67

 

第5楽章としての〈合唱幻想曲〉ハ短調 作品80

初演は1808年12月22日、アン・デア・ウィーン劇場。今から、ほぼ200年前のことだ。初演だった〈田園〉と〈運命〉だけでなく、再演を含めて多くの自作を演奏したベートーヴェンだが、演奏会直前になって、急遽新作を付け足し、それを〈運命〉の後に初演した。6時半~10時半に及んだコンサートを締め括ったのは「〈ピアノフォルテのためのファンタジア〉次第に全管弦楽が導入されて終わり、終曲には合唱が加わる」と広告された〈合唱幻想曲〉だった。

最初はベートーヴェン自身のピアノ独奏で始まったが、そこで聴衆は、再び〈運命〉の始まりと同じハ短調の世界に引き戻されたのだ。即興的な変奏(これは後に、楽譜化された)の後でオケが加わり、20代の時に作曲してあった歌曲〈相愛〉WoO.118(1794~95年) に基づく主題が声楽によって歌われた。歌詞はベートーヴェンに依頼された詩人のクフナーが、その指示に従って作成したもので、旋律線も詩の内容も、後の〈第9〉の終楽章と瓜二つであった。調性も〈運命〉と同じく後半でハ長調に転じ、輝かしく結ばれる。

急ごしらえのため、練習や打ち合わせの不手際から混乱が生じ、演奏自体は成功とは言い難いものだったが、後にスコアとして完成された全曲を〈運命〉に続けて聴いてみると、〈第9〉を完全に先取りしていることに驚かされる。いや、「ハ短調交響曲+〈合唱幻想曲〉」というペアを、ハ短調からニ短調に変えてリメイクしたのが〈第9〉である、と言っても過言ではないほどなのだ。

ハ短調交響曲の内容は、「暗→明」のドラマとして極めて理解し易い。しかし絶対音楽として(無題で)発表したがゆえに、思想的・社会的なメッセージは、やや曖昧。そこで、言葉の助けを借りて、自らの主張を、より具体的な形でアピールしようとしたのだ。そこには交響曲という形体を、思想的な発表の媒体にしようと考えた、筋金入りの理想主義者の姿が見えてくる。

〈第9〉も第1楽章において(23)のように「運命主題」が執拗に繰り返されることからみても、〈英雄〉、〈5番〉、〈第9〉は、“フランス革命三部作” といった性格が窺える。そのトリロジーに共通したリズム主題に籠められたメッセージを、ベルリオーズ、ブラームス、マーラー等、後世の作曲家達は、間違うことなく受け止め、自らの作品の中に、その意思を継承し、発展させていった。

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初演後200年を経た今日、ベートーヴェンの理想主義は少しも風化することなく、むしろ強まっているようにさえ感じる。ナポレオン戦争とその後の混乱、第二次大戦、そして21世紀における民族・宗教間の対立の激化。人間的なものと、非人間的なものの対立が臨界を超えた時、ベートーヴェンの音楽は常にヒューマニズムの側に立ち、人種や民族といった境を越えて光りを発する。その象徴たる第5交響曲が、新たなる3世紀目に向かって、力強き第一歩を踏み出さんことを!

(金子建志)

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