バーンスタイン (1918~1990) 〈キャンディード〉序曲

バースタインの父親となるショムエル・ヨゼフは1892年、ペレスティヴというゲットー(ユダヤ人居住区)で生まれる。ペレスティヴはジェニーの生まれ故郷であるシュペトヴカからさほど離れていないようであるが、ロシア時代の二人に接点は無い。ショムエルは青年になるまでこのウクライナのゲットーで生活していた。父親はユダヤ教の信仰の道に生きるユダヤ教のラビ(律法学者)で、一家を切り盛りしていたのは母親だった。単調な重労働に喘ぐ母とサミュエル。生活は一向に良くならないどころか、いつポグロムの波に襲われるか分からない。また、ロシア帝国に徴兵される年齢にも近づいていた。サミュエルはアメリカ合衆国に渡ることを決意する。両親は反対していたのでサミュエルはこっそり故郷を抜け出すこととする。1908年、サミュエルは村を抜け出し国境をくぐり抜け歩き続けた。そして、ポーランドのグダニスク、当時はドイツ帝国が支配していてダンツィヒと呼ばれていた港町に到着し、そこからイギリスのリヴァプール行きの船に乗る。船を乗り継いでニューヨークにたどり着いたサミュエルは、サムエル・バーンスタインとしてアメリカ合衆国での生活を開始する。バーンスタインはベルンシュタインというドイツ語・イディッシュ語で「琥珀」を意味する言葉に由来する。もともと姓を持っていなかったユダヤ人だが、統治するヨーロッパ諸国から姓を持つことを求められた際に多く付けられた「ユダヤ風」の名前であるようだが、サミュエルがこの姓を選んだ理由はよくわからない。例えばロシア帝国のお隣のオーストリア帝国では1788年までに全てのユダヤ人が姓を持つことを義務づけられたのだが、オーストリア役人の認可制であったため、良い姓を持てるかは賄賂の額に依っていたという。ローゼンタール(薔薇の谷)やゴールドシュテイン(金の石)という、いかにもな名前は高い値で取引されたというが、「琥珀」も、なるほど高そうである。無論、サミュエルに値段の高い姓を買える程の財力は無い。しかしここはアメリカだ。移民局の窓口の役人の気紛れで名前は決まる。サミュエルはここで、憧れの高価な名前を口にしたのかもしれない。サミュエル・バーンスタインの誕生である。

サミュエルは先にアメリカ合衆国に来ていた叔父ハーシェルの援助もあり、懸命に働き、ボストンで安定した職に就く。そんな1916年のある日、サミュエルは同じくウクライナからのユダヤ人移民の女性、ジェニー・レズニックと出会う。この頃、サミュエルは24歳でジェニーは18歳。非常に良いお年頃であった。先にジェニーにサミュエルが夢中になったらしい。ジェニーはなかなかサミュエルの気持ちに応えようとしなかったが、常にユーモアを欠かさないサミュエルに心動かされ、サミュエルと付き合うことにしたのだという。レナード・バーンスタインは常にユーモアを欠かさない人間だったが、これは父親譲りのものだったのかもしれない。デートを重ねた二人は、婚約。しかしここでアメリカ合衆国は第一次世界大戦に参戦することとなる。サミュエルがロシアを逃れた理由の一つが徴兵を嫌ってだったが、しかし徴発する国家は変わっても徴発からは逃れることが出来なかったサミュエルだった。徴兵されるサミュエル。結婚の延期も考えられる。いや、延期どころか、ヨーロッパに赴けば生きて帰れるかも分からない。ヨーロッパに送られたならば、比喩でも何でもなく、機関銃の銃弾の暴風雨の中に立たねばならなかった。ここでサミュエルがヨーロッパに行っていれば、サミュエルとジェニーは結婚すること無く、レナード・バーンスタインはこの世に生を受けることが無かったかもしれない。しかしここで、レナード・バーンスタインという人間にとって奇跡が訪れる。視力が悪かった為、サミュエルは除隊となる。1917年10月28日、サミュエルとジェニーは結婚式をあげる。日曜日だった。そして1918年8月25日、レナード・バーンスタインが誕生する。

1755年11月、リスボン

11月1日はカトリックでは「諸聖人の日」という祭日にあたる。この、神に祝われたはずの日に、ポルトガルのリスボンを大地震が襲った。多くの建物が崩れたくさんの人が即死、そして避難していた人もその後に続いた津波で多くの人が犠牲になった。これにより、植民地からの富で栄えたポルトガル帝国は没落し、リスボンは昔日の輝きを失うこととなる。この、リスボン大地震はこういった物理的なショックも前代未聞のものだったが、人々の精神に与えた衝撃も凄まじいものだった。なぜ、敬虔なカトリック信者が多く、神の栄光を称え、世界に向けてキリスト教を積極的に布教しているポルトガルが、このような目に遭わなければならないのか。なぜ神は地震という罰を与え給うたのか、いや、そもそも神は―。このようにして、リスボン大地震をきっかけとして、神というヨーロッパ社会の大前提に凄まじい疑念が生じることとなる。ヴォルテール自身はこのリスボン大地震の現場に遭遇してないが、小説『カンディード』において、ヴォルテールは主人公カンディードをリスボン大地震に遭遇させている。

ミュージカル《キャンディード》は、18世紀フランスの哲学者ヴォルテールの小説『カンディード』が原作である。啓蒙思想家として知られるヴォルテール、確か中学校の教科書でも出てきたような気がする。無論、高校の世界史の教科書では必須の最重要人物の一人である。ヴォルテールは1764年、パリにて生まれた。18世紀のフランスは、啓蒙思想と呼ばれる政治思想が流行し、あまたの思想家達が言論活動を繰り広げた。ヴォルテールはその中心にあって活躍した人物だったが、啓蒙思想家が主張したことはなんだったのか。一言で言ったら「人間の理性を信じる」であろうか。世界には根本法則がありそれは、理性に依って人間にも理解可能なものである。こういった考え方は、当時のヨーロッパにおいて、社会生活のみならず人間の思考をも強く規定していたキリスト教からの解放を意図したものであり、この流れがの一つの帰結がフランス革命である。この当時のヨーロッパ、特にフランスでは、まるで革命までのエネルギーを蓄えるが如く、喧々諤々の論争が繰り広げられることとなる。この啓蒙思想時代の言論活動というのは実はクラシック音楽にとっても非常に重要な意味を持っており、和声を理論的に体系づけようという試みはこの時代にラモーやタランベールという音楽家・哲学者によって行われている。この啓蒙思想の興隆は、自然科学分野において、物理現象や種々の事象が神々の存在を用いなくても理論的に説明出来るようになってきたことを背景としているのだが、リスボンで起こった大地震も大きな影響を与えている。

ヴォルテールによる小説『カンディード』が出版されたのは1759年のこと。最初は匿名で出版されたらしい。この小説は日本語訳が文庫で出版されてるので気軽に読むことが出来る。私も今まで未読だったのをこの機会に読んでみたのだが(私が読んだのは斉藤悦則訳、光文社古典新約文庫、2015年。これは訳者あとがきにバーンスタインのことが書かれているので、その意味でもお勧めである)、荒唐無稽の物語、である。青年カンディードを主人公とする冒険談なのだが、ストーリー展開がめまぐるしく、表現の一つ一つがギャグ漫画的に誇張され、確かに面白い。気軽に読み進めることが出来るし、とにかく場面展開が強烈に早く進み、カンディードはドイツにいたと思ったら次のページでは南米にいるといった次第。ストーリーを述べることはネタバレになるのだがネタバレって程でも無いかもしれない。重要なのは、当初、神の恩寵を無邪気に信じていたカンディードが、議論を繰り返した結果、とにかく働こうという結論に達すること。実際、物語中では権威、とくにキリスト教の権威に対する皮肉・揶揄が凄まじい。ヨーロッパ社会が神のものから人間のものへと変わっていく移行期の、最後の一断面であると言えるだろう。このおよそ150年後、神の死を告げる人間が現れ、それを音楽にしようとする人間が現れる。

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