2018年7月、東京
バーンスタインは、作曲家としても指揮者としても超一流だったし、人間としても非常に魅力的な人間だった。バーンスタインのもとには数多くの人が集まった。ジャンルを飛び越えて、20世紀を代表する人間の一人だったと言って良いだろう。1989年、ベルリンの壁が壊れた直後にバーンスタインはベートーヴェンの交響曲第9番を演奏したが、多くの人種・国から集まった演奏者を指揮したそのときの演奏において、バーンスタインは第9にシラーが付けた「歓喜」という歌詞を「自由」に置き換えて演奏している。古典的な作品にこのような手を加えて演奏することは御法度とも呼べるものだし、その言葉の置き換え自体、偽善やキッチュという誹りを受けかねないものだった。しかし、バーンスタインはそういう誹りを跳ね返す実績と力を持った人間であり、そのようなことをして「さまになる」音楽家はバーンスタイン以外では皆無だった。バーンスタインは、まさに唯一無二の存在だった。
しかし、反面、バーンスタインは21世紀には通用しなかったのではないかと思わせるものがある。昨今、「metoo」運動というものが盛んになされているのをご存知だろうか。これは女性が受けたセクシャルハラスメントに対する抗議運動で、欧米では大きな広がりを見せている。この「metoo」運動において、有名な指揮者が名指しで批判され、演奏の機会を多く失っている。日本でも、この12月に予定されていたNHK交響楽団の演奏会を指揮者自らが辞退したことは記憶に新しい。さてこの「metoo」運動、バーンスタインが生きていたら真っ先に批判の対象に上がっていたとも言われている。バーンスタインは両性愛者だったが、伝記を読むと多くの男性とのラブロマンスが書かれていて、ちょっと驚かされるものがある。バーンスタインは自分が両性愛者であることを生前に公表しており、男性とのラブロマンスは秘密のものではないのだが、妻との不仲の原因となっており、それをバーンスタインの遺族が積極的に協力して書かれた伝記に掲載されているというのは、非常にオープンなように思われる。しかし、それでもやはり伝記には書かれていないものがある筈だ。それは、相手の意を抑圧したハラスメント的なものであろう。しかも、それは多くは男性に向けられていた。その向けられた男性が男性を恋愛対象にしていなかった場合は、どうなるか。幾重にもハラスメントを重ねたことになるのではないか。
また、バーンスタインはイスラエルを積極的に支持した。パレスチナに出現したイスラエル国家はナチスドイツのユダヤ人虐殺を経験したこの当時のユダヤ人にとって悲願であり、なんとしてでも守らなければならないものだった。しかし、イスラエルにもともと住んでいた土地を奪われ、今でも抑圧され命の危機さえあるパレスチナ住民のことを、バーンスタインはどう考えたのか。指揮者・ピアニストとして活躍するダニエル・バレンボイムは、現在もユダヤ人とパレスチナ人を取り結ぶ活動を積極的に行っている。(バレンボイム自身もユダヤ人であり、ロシアからのユダヤ人移民の子としてアルゼンチンに生まれている。)村上春樹は「高くて高い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときは、私は常に卵の側に立つ」と言った。バースタインは、この言葉を聞いて何と言うだろう。
『カンディード』の最終場面で、キャンディードはとにかく働こうと言う。庭を、私たちの庭を耕そう、と。バーンスタインはこの場面に感動的な音楽を付けた。21世紀の私たちは、誰の土地を耕すのだろうか。その土地に実るのは何だろうか。そして、その実を口にするのは誰なのだろうか。
バーンスタインが慎ましくもささやかな幸せを享受しつつもアメリカ合衆国の最下層に位置する両親の元に生を受けたその約50年前、ドイツとフランスの間に決定的な遺恨が生まれていた。