セザール・フランク(1822~1890) 交響曲 ニ短調

franck-photo以前は、それほど感じなかったのだが、ブルックナーに深入りした後で、改めてフランクを聴いてみたら、2人の共通点があまりにも多いのに改めて驚かされた。それを説明すると、この曲の解明が殆ど済んでしまうので、共通点を列挙してみよう。

 
  1. 先ずフランクが、1822~90年、2年遅く生まれたブルックナーが24~96年と、同一世代であること。しかも、これに、約10年歳下でありながら、生前、作曲家としては、彼等2人よりも遙かに高く(広く)評価されていたライヴァル、サンサーンス(1835~1921年)と、ブラームス(1833~97年)を配すると完壁だ。ライヴァル2人は、アンチ・ワーグナーの党首であり、バリとウィーンで、実に、よく似た人間関係の図式が成立していたのである。
  1. 2人とも、非凡なオルガニストだったこと。共に教会オルガニストを主たる仕事としたが、フランクは、72年からパリ音楽院のオルガン科の教授を勤め、ブルックナーの方はウィーン大学で対位法を教えることになる。作曲科でないが故に、主流派から疎んじられる傾向があったのも共通。
  2. オルガニストだったことは、2人のオーケストレトレイションの単色で分厚い全合奏(トゥッティ)の響きに歴然と表れているが、もっと地味な部分でも同様なのだ。フランクの第2楽章の中間部では、管セクションと弦が、フェルマータを挾みながら、交互に音色と曲想を交替させてゆくのが神秘的な聴き所となっている。これは、片手でハーモニーを延ばしておいて、空いた方の手でレジスターを切変えて、音色を変化させるというオルガンならではの技法を、そのままオーケストラに移し換えたものだ。

    一番印象的なのはコーダ近くでテンポが落ち、ワーグナー風に、バス・クラリネットのppの低音だけがブリッジとして残る部分①aだろう。①bはブルックナーの交響曲の中でも、そうしたオルガンの模倣が最も素朴に残っている〈ロマンティック〉初稿(74年成立、生前未初演)の第2楽章。全く同じ技法だ。

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    オルガニストは、与えられた主題によって即興で曲を作る能力がなければ勤まらない。対位法的であると同時に、単一主題の円周を廻る忍耐力(しつこさ)と、意外な飛躍を平気で結びつけることの出来るファンタジックな要素が同居しているのも特徴だ。第3の手であるペダルを土台にして、上に音を積み上げてゆく重厚さも特徴。

    故・朝比奈先生はベートーヴェンの重厚さを、オルガニストだったことに結びつけて説明されていたが、興味深い指摘だ。音楽の修行の仕上げをするために、14歳で家族と共に故郷ベルギーのリエージュからパリに移ったフランクが、最初に師事したチェコの作曲家ライヒャは、ベートーヴェンの友人だった。そして、フランクは終生ベートーヴェンとバッハを研究し、自分の作風に採り入れたのである。

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