ベートーヴェン《レオノーレ》序曲第3番

レオノール、レオノーラ、レオノーレ、フィデリオ?そして1番、2番、3番?

《レオノーレ》第3番というからには、1番も2番も存在している。そしてまた、オペラ《フィデリオ》にはまた別の序曲がある。これは、現在《フィデリオ》として知られているこのオペラの少し複雑な成立経緯に関わってくる。オペラ《フィデリオ》はざっくり分けると三つのバージョンがある。最初は1805年に上演されたバージョン。この時は《レオノーレ》序曲第2番をオペラの最初に演奏していた。そして1806年、小改定を加え再び上演。この時に最初に演奏されたのが《レオノーレ》序曲第2番。そして時は過ぎ1814年、大きな改訂を加えたバージョンが上演されている。これが現在《フィデリオ》と呼ばれているオペラで、このバージョンに付けられた序曲が《フィデリオ》序曲として知られている曲である。この決定稿となったオペラ《フィデリオ》と比較する形で、最初の二つのバージョンのオペラは《レオノーレ》第1稿もしくは1805年版、《レオノーレ》第2稿もしくは1806年版として知られるようになった。近年では古楽器・原典版志向の流れに乗って、この最初のバージョンでの演奏・録音も増えてきている。

ところが、この名前の呼び方も少し正確さに欠けるところがある。最初の1805年の上演時から、このオペラは《フィデリオ》という名で上演されてきた。これは、ウィーンの劇場関係者が、元々のオリジナルであるガヴォーのオペラの上演をする際に、ベートーヴェンの作品との混同を避けるためであったと言われている。ベートーヴェンはこれに納得しておらず、楽譜には《レオノーレ、または夫婦の愛》という題名が書かれている。ガヴォーは当時のフランスではそこそこの流行作曲家で、ウィーンでは有名ではなかったが少しずつ上演され始めてきたところだった。ベートーヴェンとしては、ガヴォーの作品にオリジナルの名前を譲る気など毛頭なかったというところだろうか。しかし、1814年にはベートーヴェンも折れ、晴れてベートーヴェン公認のもとに《フィデリオ》と名乗れるようになった。そのため、《レオノーレ》序曲という名前も、実際の上演の際の題名とは異なっているが、その当時のベートーヴェンの意識からすると間違ったものではない。

あれ、何か忘れている?そう、《レオノーレ》第1番である。この作品はベートーヴェンの生前には演奏されず、ベートーヴェンの死後に遺品の中からその楽譜が発見され、演奏されるに至った。作曲時期は特定されておらず、1804年のバージョンの前とも、1805年の上演の直後、1807年辺りにプラハで再演の機会が持ち上がった時に新しく作曲されたものだとも言われている。(このプラハでの再演は実現されることがなかった。)1番から3番までの番号付はベートーヴェンによるものではなく、後世になって便宜的に付けられたものに過ぎない。

ベートーヴェンがこのオペラの一連の作品の作曲に取り掛かったのは交響曲第3番《英雄》を書き上げた直後のことで、ベートーヴェンが充実期に入る頃。《レオノーレ》序曲の1番から3番までを比べてみると、2番と3番が同じ要素を多く持つ作品で、かつ、3番は2番の要素をすっきりとまとめた作品に仕上がっているのが聞き取れる。1番はこの2曲と共通するところが少ない。音楽作品として優れているのはやはり3番であり、短いながらもベートーヴェンの力強さが堪能できる作品として、コンサートで多く演奏される作品となっている。しかし、オペラの序曲として、これから2時間にもわたり劇場の椅子に座り観劇する身となると、最初にこれだと少々胃もたれしてしまう。そこはベートーヴェンも自覚していたようで、決定版となる《フィデリオ》序曲は軽くあっさりしたものとなっている。

タグ: ベートーヴェン

関連記事