第66回演奏会 - 2022年1月16日(日) 13:30開演 会場:習志野文化ホール・指揮:金子 建志・演目:ドヴォルザーク/謝肉祭、ヒンデミット/画家マティス、ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」

ベートーヴェン《レオノーレ》序曲第3番

フランスと《レオノーレ》、そしてベートーヴェン

ここで注意すべきは《レオノーレ》がフランスの作品であるということ。この時代、フランス革命の直後ということもあり、人々はフランスに注目していた。恐怖政治の混乱はあったにしろ、フランス革命に新しい展開・希望といったものを期待していた人間も少なくはなかった。そしてナポレオン。王侯貴族からではなく、民衆からの英雄の登場。紛れもなく新しい時代の到来だった。文化芸術でもフランスから新しい波が押し寄せた。ウィーンやドイツ各地においても、フランス・オペラが多く上演されるようになる。また、フランス由来の台本がシカネーダーといったかっての人気者を脇に追いやるという場面もあった。しかし、イギリスとフランスが開戦。イギリスと同盟を組んでいたオーストリアもフランスと戦うこととなる。軍事的脅威の前にフランスへの憧れは後退していく。1805年10月、ドイツ南部の都市ウルム近郊にて、オーストリア軍とナポレオン率いるフランス軍が戦い、フランス軍が完勝。11月13日にフランス軍はウィーンに入場し、15日にはナポレオンがウィーンに勝利者として到着する。《レオノーレ》の最初のバージョンの初演は1805年11月20日。まさに戦時下ウィーンでの初演だった。ハプスブルク家の皇帝やその家族、貴族たちはウィーンを逃れていたのだが、彼らの中にベートーヴェン支持者たちが多くいた。そんな彼らが不在の中での、そしてフランスが憧れの対象から敵へと変化した中での初演。フランス由来の台本であっても言葉はドイツ語に訳されたもので、上演を観劇しに来たフランス兵はその物語を理解することが出来ない。上演は早々に打ち切られた。しかし、それによってベートーヴェンは作品の欠点にいち早く手直しをすることが出来たと言えるかもしれない。次のバージョンでは序曲も新しくなった。《レオノーレ》第3番の誕生である。(以上は大崎滋生『ベートーヴェン像再構築』春秋社、2018年、に詳しい。)

フランス革命とナポレオン戦争は、ヨーロッパにナショナリズムが巻き起こる契機となった。ナポレオンによって、戦争は王侯貴族が起こすものではなく、民衆が選んだ指導者が起こすものになった。そして、自分たちが選んだ指揮官に率いられた兵は強かった。ナポレオンが軍事的才能に秀でていたこともあるが、ナポレオンの強さは兵隊たちの意識の変化によってもたらされたところも大きい。そして、ドイツにおいても、そんなフランスに対抗するには「自分たちの国」を持つ必要があるという意識が芽生えるようになった。この意識がドイツにおいて本格的に具体化し始めるのはベートーヴェンの没後しばらく経ってからのことであり、ベートーヴェンはそういったドイツ・ナショナリズムの興隆に立ち会ってはいない。ベートーヴェンの時代のドイツ・オーストリアにおいては、依然として国は皇帝や王のものであり民衆のものではなかった。しかし、交響曲第3番《英雄》とナポレオンのエピソードに見られるように、ベートーヴェンはフランスと対峙することによって自らのアイデンティティを確立した面もある。それは、《レオノーレ》においてもそうだったかもしれない。フランスへの憧れが消え、別のものに変わる。ベートーヴェンの場合、それは人類そのものといった普遍的な理想へと向かっていったと言えるかもしれない。これは、ベートーヴェンの存命中にはドイツ・ナショナリズムが本格化していなかったからでもあろう。この後の時代になると、ドイツ・ナショナリズムは現実のものとして立ち上がってくる。これに独特の形で関わったのが、ワーグナーだった。

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