ワーグナーがケーニヒスベルクの指揮者をつとめていた23歳の頃、E.B.リットン(英・1803~73年)の小説「コーラ・ディ・リエンツィ」(1835)に触発され、38年にリガで台本を完成。リガ→パリ→ドレスデンと遍歴する間にスコアを書き上げた。ラインガーの指揮によって42年10月20日ドレスデン宮廷歌劇場で行われた初演は、画期的な大成功となり、同劇場の楽長就任へと繋がった。その後〈さまよえるオランダ人〉〈タンホイザー〉で地盤を固めたかのように見えたが、1849年に勃発した革命の際、宮廷楽長の身でありながら革命側に加担したために、一転、政治犯として終われる身となり、スイスへと逃れることになる。
ベートーヴェンの〈第9 〉に強烈な影響を受けて音楽を志したワーグナーは、フランス革命以降の激変する時代の申し子だったのだが、「最後の護民官」という副題を付けた〈リエンツィ〉は、その生き方に、自由や平等を理想とする新たな社会への転換の真っ只中にあった、自らの夢と生きざまを託した感がある。
護民官
「トリビューン=護民官」は古代ローマの(tribunus plebis)に遡る。紀元前5世紀に、平民を保護する目的で創設された公職。当時のローマでは貴族と平民との間で貧富の差が広がったため、平民による反乱が起った。その平民による改革派の代表者を貴族側が認め、制度的に権限を与えたのが護民官である。新聞の名前等に使われるのは、その起源が “民衆を司る” という意味を内包しているからだ。
一方、この歌劇のモデルとなったコーラ・ディ・リエンツィ(リエンツォ)(1313 ? ~1354)は、ローマ教皇庁がアヴィニヨンに移った時期(1307~77)にローマ市を再興しようとした人物。コロンナ家などの貴族支配によって疲弊したローマ市で、古代ローマを理想とする革命を起こし、1347年に護民官と称して市政の頂点に立った。この革命は、貴族の反抗や教皇庁の離反によって失敗に終り、最期は殺されことになるのだが、ワーグナーは、その経緯を、ほぼ史実に倣って描いている。
主な登場人物
リエンツィ(テノール)、その妹イレーネ(ソプラノ)。貴族コロンナ家の長ステファーノ(バス)と、その息子アドリアーノ(メゾ・ソプラノ)。貴族オルジーニ(バス)。
物語
オルジーニを含む野盗化した貴族達がリエンツィ家に忍び込み、イレーネを略奪しようとするが、それをアドリアーノが助けたことで、二人は恋仲となる。やがてリエンツィの招集ラッパ ① によって民衆が蜂起。勝利を治めたリエンツィは「法の遵守と自由によって、古代の共和制ローマを理想としよう」と宣言する。市民の代表者が王位を与えようとするが、リエンツィはそれを拒み、民衆の守護者としての護民官になることを宣言する。
大統領的な立場になったリエンツィは平和を宣言し、外国の使節に接見するが、グランド・オペラとしてのバレエの見せ場の後、貴族達はオルジーニが刺客となって暗殺を実行。これは失敗に終り、同じく反乱を起こしたステファーノともども捕らえられ、元老院は死刑を要求する。しかしアドリアーノとイレーネに懇願されたリエンツィは、皇帝ティトゥスのような慈悲をみせ、釈放してしまう。この時民衆が、その寛大さを讃えて歌う讃歌が ③ である。
釈放された貴族達が強力な反乱軍を組織して挑んできたために、凄絶な戦争に突入するがリエンツィはこれを制圧。その際にリエンツィ歌う ④ 《精霊よ、護り給え》は、戦禍の悲惨を人々が訴える場面では、悲劇的な嘆きを籠めて、繰り替えされる。
政情が変わりローマの新しい皇帝は、アヴィニヨンの教皇と結託し、反リエンツィに転じる。人心も離反し始めるので、アドリアーノはイレーネを連れ出そうとするが、イレーネは拒否。兄と運命を共にすることになる。法王からの破門、民衆の離反という板挟みになったリエンツィは ④ 「全能の神よ、護り給え」と歌う。この 《リエンツィの祈り》 は、リストがピアノ編曲したことでも明らかなように、ワーグナー初期の名アリアで、序曲でも中心的な役割を務める。
押しかけた民衆がリエンツィを石打ちにし屋敷に放火。アドリアーノはイレーネを助けようとして共に炎に呑まれる。
以上のように、悲惨な結末を迎える悲劇であり、実在のリエンツィも誇大妄想と弁術で戦禍を招いたとして批判されることが多いのだが、序曲は、民衆とローマを救おうとして戦った英雄としてのポジティヴな側面から、ウェーバー風の壮麗な開幕の音楽として描かれている。
本編中の①~④を素材とした序奏部付きのソナタ形式で、①と④は、後年のライトモティーフ(指導動機)を先取りしており、前作〈恋愛禁制〉を受け継いだ多彩な打楽器群は、後半の行進曲的なクライマックスをマイアベーア風に盛り上げる。
(金子建志)