「ドイツ音楽」から「チェコ音楽」、そして「アメリカ音楽」へ

マンハッタン生まれのユダヤ人

manhattan 1909 thumbアーロン・コープランドは1900年、アメリカ合衆国のニューヨーク、マンハッタンに生まれた。両親はユダヤ系ロシア移民で、両親が出会ったのはアメリカ合衆国においてだった。この辺りのバックグラウンドはバーンスタインと同一である。コープランド家は比較的裕福な家庭で、アーロンはコープランド家の5人いた子供のうちの末っ子だった。コープランドの父親は音楽に特に興味を持たなかったが、母親が音楽的素養を持ち、そこから音楽に親しんでいた子供がいた。そんな一人である姉のローリンから、アーロンは音楽の手ほどきを受けた。アーロンは音楽に興味を抱くが、両親は無頓着。アーロンは11歳の時、自分でピアノのレッスン先を見つけ出したという。その後、有名なゴールドマークに師事し、作曲を学ぶこととなる。

この、コープランドが音楽に興味を持ち本格的に音楽を勉強していくようになる時期、アメリカ合衆国においてもヨーロッパにおいても、新しい芸術の潮流が動き始めた頃だった。音楽ではストラヴィンスキーの《春の祭典》が、美術においてはイタリアに端を発する未来派があり、その新しい芸術の息吹をアメリカにおいても感じ取っていたコープランドにとって、19世紀的なドイツロマン派のスタイルを至上のものとするゴールドマークの教えは、なんとも息苦しいものだった。

そして特筆すべきは、この時代のアメリカ合衆国においては、様々な分野で「アメリカのアイデンティティ」を模索していた時期だったということである。新興国アメリカ。南北戦争という内戦を乗り越え、発展する経済と科学技術を背景に勃興するアメリカ合衆国だったが、国民を統合するシンボルとなる「アメリカ的」なものをまだ見出すには至っていなかった。これは音楽においてもそうで、ドヴォルザークを招聘した目的だったアメリカ合衆国の「国民音楽」の創出が、この時期に至って、いよいよ本格的に始動したのである。この「アメリカ音楽」創出の潮流に、当然コープランドも無縁ではなかった。コープランドにとって、アメリカ音楽の創出は大きな課題となっていく。

そんなコープランドにとって、ゴールドマークから教えを受けた時期というのは、忍耐の期間だった。コープランドは、1921年にパリに留学するのだが、そのコープランドに対して、ゴールドマークは次のような手紙を送っている。「君がもう少しソナタ形式に進歩を示してくれればと願っている。君が急進派の手に万が一陥るようなことがあっても、ソナタ形式を嫌ってはいけない」と。若きコープランドにとっては、まさに余計なお世話としか思えなかったのではないだろうか。

パリのアメリカ人

コープランドはパリでナディア・ブーランジェに学ぶこととなる。その教え子からは優れた音楽家が次々と登場し、クラシック音楽史随一の名教師として知られるナディア・ブーランジェ。当初、コープランドのフランス滞在は1年の予定であり、ナディア・ブーランジェに師事する予定もなかった。それが3年に伸びブーランジェに習うことになったのは偶然の経緯があったらしい。少なくとも、女性から作曲を習うということは、コープランドはブーランジェに出会うまで全く考えたことがなかった。ブーランジェに作曲を習うことを決めた自分は「ほどほどの勇気」を持っていたと、後年のコープランドは述懐している。まだまだそういう時代だった。コープランドは、ブーランジェのアパートで様々な作曲家の分析をすると同時に、多くの人と出会い、共に学んだ。ストラヴィンスキーと初めて会ったのも、ブーランジのアパートでだった。また、コープランドはパリで興味深い、そして意外な出会いを果たしている。意外というのは、その出会った相手ではない。パリでその出会いを果たしたことが、非常に興味深いといえよう。その出会った相手は、ジャズだった。

ジャズは言うまでもなくアメリカ合衆国のニューオリンズが発祥の地とされており、アメリカ人のコープランドがフランスにおいて出会うと言うのは、奇妙なことに思えるかもしれない。しかし、この時代、アメリカ合衆国において、ジャズはまだまだ一般的なものとはなっていなかった。これには、ジャズの担い手となったアフリカ系アメリカ人たちが、この当時のアメリカ合衆国においては、まだまだ差別された境遇に置かれていたことも関係している。第一次世界大戦後のヨーロッパではジャズが爆発的に広まっていくが、この当時のジャズはアメリカ発祥の音楽であっても、アメリカを代表する音楽ではなかった。これはのちに大きな意味を持ってくるので、覚えておいて頂きたい。

コープランドはストラヴィンスキーを始めとする新しい音楽の担い手たち、ロシアバレエ団、ジャズ、といった新しい文化・芸術に出会い、貪欲に吸収する。そして1924年、アメリカ合衆国に帰国。そこから活発な音楽活動を開始する。

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