「ドイツ音楽」から「チェコ音楽」、そして「アメリカ音楽」へ

本当にアメリカを代表する音楽とは?

しかし、話はここで終わらない。コープランドの音楽はアメリカを代表する音楽、「アメリカ音楽」になったのかという問いである。コープランドの音楽は確かに「アメリカ音楽」である。では、クラシック音楽ファンのみならず、ジャンルを問わず音楽ファンに「代表的なアメリカ音楽とは?」と聞いた場合、いったいコープランドの名を挙げる人がどれだけいるのかという話である。

先に、コープランドはパリでジャズを知ったと書いた。その時代、ジャズは決してアメリカを代表する音楽では無かった。それは建前としても実際としてもそうだったが、その後の歴史の展開は、ジャズがアメリカを代表する音楽として認知されていく過程でもある。前回の《レニングラード》交響曲の解説で、第二次世界大戦直後のベルリン音楽事情のことを少し書いたが、最近になって、この辺りの事情が詳しく書かれた研究書が出版された。《レニングラード》の曲紹介において筆者は、ソ連の占領地域で文化芸術事業が活発に行われたのはソ連の高位軍人の中に文化芸術一般に対して造詣の深かった者が多かったからだと書いたが、まず前提として、ベルリン占領地域における統治はすでに冷戦の一環として存在しており、豊かな古典文化芸術の伝統を持つドイツ人に対して、彼らから侮られないためにも、活発な文化芸術活動を展開していく必要があったのである。そしてまた、ソヴィエト連邦は、帝政ロシア時代の貴族たちが培った文化を、広く大衆のものにすることを国是とした国家だった。クラシック音楽、特に重厚長大な交響曲も、一部のエリートのためのものにしてはならないというのは、ソ連にとっては信念を超えたレゾンデートル(存在意義)でもあったのである。帝政ロシア時代のクラシック音楽は、ドイツ音楽を模範とするものであり、ソ連は偉大なるドイツ古典芸術の後継者として、占領したベルリン市民に対して振る舞ったのである。これに対し、当初、アメリカ占領軍も、アメリカの優位を示すために、アメリカ合衆国で生まれた「格式の高い」文化芸術をベルリン市民に提供した。音楽におけるその第一の存在が、コープランドの音楽だった。この時点で、コープランドの音楽はれっきとしたアメリカを代表す音楽だった。しかし、後方ならともかく冷戦の最前線の場においては、建前ではなく現実が優先された。ベルリン市民が求めたのは、ジャズだった。これを受けてアメリカ占領軍は方針を転換し、ソ連が「格式の高い」文化芸術を提供するのに対抗して、ジャズのような「民衆に広く求められた」ポップカルチャーを提供し、アメリカの魅力を高める作戦を取る。アメリカ合衆国においては、ジャズの担い手であるアフリカ系アメリカ人はまだ差別される存在であり、ジャズに対してもはっきりとした嫌悪感を示すものも少なく無かった。しかし、世界各地でジャズを求める人々の声があった。そしてアメリカ合衆国は国策として、ベルリンだけではなく、世界各地でジャズを広め、それによりアメリカ合衆国の優位を示す政策を大々的に展開するようになる。これと同時にアフリカ系アメリカ人のアメリカ国内における差別撤廃の動きも進んでいき、名実ともにジャズがアメリカを代表する音楽としての地位を獲得し、「コカコーラとハンバーガー、ジャズとミッキーマウスにディズニーランド」に象徴される「アメリカ文化」がここに登場する。ポップカルチャーの帝国、である。

そう、コープランドの音楽は「アメリカのクラシック」を代表する音楽であるが、決して「アメリカ」を代表する音楽ではない。アメリカを代表するもの、それは交響曲ではなくジャズ、オペラではなく映画であった。

さて、散々登場してきた「ドイツ音楽」という言葉。では、その「ドイツ音楽」とは一体なんなのか?ここで千葉フィルの次回のプログラムを見てみよう。ベートーヴェン、ワーグナー、そしてマーラーだ。ドイツ音楽を語るに、これ以上はない3人である。次回の演奏会では、「ドイツ音楽」が、言葉で、そして鳴り響く音楽そのもので語られることになるであろう。近日公開、Cooming soon !

タグ: ドヴォルザーク, コープランド

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