ベルリオーズ(1803~1869) 序曲 《海賊》 の楽曲解説

berlioz 120x154今の時代、この「海賊」を素朴に標題に結びつけて鑑賞しようとするなら、一番近いのは映画「カリブの海賊」ではないだろうか。そうした快男児的な海賊のルーツの一人が、19世紀初期にメキシコ湾で活動した実在の海賊ジャン・ラフィット(仏・1782- 1826年?)。ハイチ革命の最中、フランス人に対する迫害と暴力から逃れるために海賊になったとされる。

アメリカの独立戦争やフランス革命の時代、本来だったら、どこかの領地で安閑と暮らせていたはずが、うまく立ち回れなくて、野に下ることを余儀なくさせられた貴族の姿が重なる。実際に略奪に遇った人はともかく、民衆の多くが喝采を浴びせ、別稿にあるような小説が、そのロマンをかきたてた。ベルリオーズが、ここで描こうとしたのは、当時の人々が喝采を送りたくなるような、誰にも束縛されることなく、国家的な線引きを越えて、自由に活躍するヒーロー。タイトルは別稿のように〈ニースの塔〉として45年に初演された後、〈赤い海賊〉と改題され、改訂を経て51年に〈海賊〉として出版された。最後の標題に結びつけられたバイロンの詩は以下のとおりだ。

海賊の首領コンラッドには愛する妻メドラがいるが、トルコの太守ザイードとの戦で先手を打って勝利し、その女妾グルナーレを救う。やがて形勢は逆転。囚われの身となったコンラッドは死刑を宣告されるが、コンラッドに惹かれていたグルナーレはザイードを殺害。その愛を振り切って、コンラッドが家に戻ると、夫が生け捕りの末に死んだと思い込んだメドラは自害していた。

以上のように、波瀾万丈の末、暗い結末を迎える物語なのだが、本来バイロンから作られたわけではないから、この序曲に悲劇性は無く、「海、愛、ヒロイックな戦い、嵐」といったロマン主義時代の大衆が求める要素を巧みに縫合した活劇調の音詩に仕立てられている。以下の解説は、一応、バイロンの物語に関連づけてコメントしておくが、あくまでも手助け程度に考えて頂きたい。

曲は無窮動的な①による爽快な直進で始まる。〈フィガロの結婚〉や〈ルスランとリュドミラ〉の序曲に似ているが、不規則に入るスラーが意図的に仕組まれた障害物。これに間の手を入れるように絡む②aも一捻りしてあり、②bのような単純なダクテュルのリズムが8分音符一つ分ずれて入る。つまり、一見、簡単そうだが、合わせるのが難しい曲で、後者②aは、遅れて聴こえるのが正解となるわけだ。

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これらは、どちらも社会的ルールの中に収まり切らない「海賊」の生き方を、音楽的に象徴した崩し。こうした密かな裏技は(ベルリオーズの大著「管弦楽法」の翻訳者でもある)R.シュトラウスが、〈ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯〉で、同様に社会の枠からはみ出した主人公を(6/8拍子の中に)7拍子で割り込ませた手法の原型と見做せよう。

緩やかな情景に転じて弦が奏する③は、海賊の愛(愛妻メドラ、もしくは彼を慕うグルナーレ)を思わせる。ローマ賞を受賞してイタリアに留学したベルリオーズは、地中海の夜明けの美しさ等を記しているので、情景描写として聴いても全く差し支えない。

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④aは、海賊の行動的な側面を表わす英雄主題。これが④b ④cのように姿を変えて、躍動感に溢れた音画としての印象を決定づける。

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予想外なのは「アーメン」的な終わり方。⑤のように、キリスト教の祈りのように結ばれるのだが、〈幻想交響曲〉の第1楽章や〈ローマの謝肉祭〉と同様、突然、教会音楽的なコーダをもってくるのはベルリオーズの得意技。初演のタイトル〈ニースの塔〉が、痕跡として残っているとしたら、教会の尖塔を思わせる、このエンディングであろう。

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(金子建志)

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