第66回演奏会 - 2022年1月16日(日) 13:30開演 会場:習志野文化ホール・指揮:金子 建志・演目:ドヴォルザーク/謝肉祭、ヒンデミット/画家マティス、ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」

ベルリオーズ(1803~1869) 序曲 《海賊》

ロマン主義の詩人、バイロン

byron 120x146代表作《幻想交響曲》が最も分かりやすい例であるが、ベルリオーズは詩的・文学的な物語性を音楽に積極的に持ち込んだ作曲家だった。ベルリオーズ自身の文学性は情熱的でヒロイックなロマン主義的なものであり、それはイギリス出身の詩人バイロンに強く影響されたものである。情熱的なバイロンの作品はイギリスにおいて熱狂的な支持を得たが、1820年、バイロンの作品がフランス語に翻訳されて初めて出版されると、それ以来、フランスにおいてもバイロンは非常に読まれる存在となった。1824年にバイロンはギリシャ独立戦争に参加しようとしてギリシャに赴き、その地で死んでしまうのだが、その最後もまた、読者の熱い想いにロマンティシズムを掻き立てるものだった。バイロンは1788年生まれだが、ベルリオーズは1803年生まれなので、この詩人よりも若い世代に属する。ベルリオーズもまたこの詩人に熱中し、『チャイルド・ハロルドの巡礼』という作品に着想を得た《イタリアのハロルド》という作品を作曲している。

ベルリオーズは「美しさ」とは別のものを音楽に持ち込んだ作曲家だった。それは「野蛮」や「興奮」「熱狂」といったもので、それまでのハイドンやモーツァルトといった均衡の取れた古典的な音楽の美しさからは完全に枠をはみ出している。ハイドンやモーツァルトといった古典的な造形の美しさといったものを飛び越えたのはベートーヴェンだったが、ベルリオーズはベートーヴェンの音楽の中にある感情表現といったものをさらに激しく過激にしたと言って良いかもしれない。古典的な美しさを好んだメンデルスゾーンはベルリオーズのとある作品を「スコアをさわったあとでは手を洗わなければならないほどである」と評したこともあった。(もっとも、ライプツィヒを訪れたベルリオーズをメンデルスゾーンは手厚く歓迎し、《幻想交響曲》を見事に指揮してベルリオーズを感激させている。ただ、面白いことに、ベルリオーズはメンデルスゾーンに会うことを最初は躊躇していた。作風があまりにも違いすぎることを気にしていたのである。会ってみるとその心配は全く杞憂に過ぎなかった訳だが、メンデルスゾーンもかなり複雑なパーソナリティの持ち主だったらしい。)

この《海賊》もバイロンが書いた『海賊』という詩から着想を得られたものである。ただ、このベルリオーズの《海賊》の最初の題名は《ニースの塔》という題名であった。1844年、ベルリオーズがニースに滞在していた時に作曲された。初演は翌年パリにて、ベルリオーズ自身の指揮によってであった。その後、改訂され題名も《赤い海賊》と変更されるのだが、この《赤い海賊》とはアメリカの作家ジェイムズ・フェ二モア・クーパー(近年に映画化された『ラスト・オブ・モヒカン』の作者でもある)の作品のこと。クーパーは1851年にこの世を去ったのだが、この時期にイギリスに赴くことが多かったベルリオーズは、イギリスでも有名であったクーパーを追悼するという触れ込みでイギリスでこの作品を演奏しようとしたらしい。この企てはうまくいかず、1852年に《海賊》という題名で出版された。ここでようやく、バイロンとこの作品が直接結びつけられた訳である。 この経緯からも分かるように、ベルリオーズの《海賊》はバイロンの『海賊』の物語をなぞったものではないし、直接的にバイロンをイメージさせるものも無い。ベルリオーズは文学的なプログラムを持つ作品を多く作曲したが、物語の着想をなぞったというものは少ない。それは着想源の一つであり、もしくは音楽を結びつける為の周到な道具として作用するものであった。(《幻想交響曲》は異なる時期に作曲した素材を一つにまとめあげたという側面があるのだが、そのバラバラの素材を一つの曲として聞かせるためにベルリオーズがつけたプログラムは大きく貢献している。)この《海賊》に至っては、特にバイロンと結び付けて聞かないと理解出来ないといったことは全くなく、そのまま聞いてすぐに楽しめる作品となっている。奔流のように湧き出て、力強く高揚する音楽。短いながらもベルリオーズの魅力に溢れた、ベルリオーズの隠れた傑作の一つである。

(中田麗奈)

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