時代を超える芸術の役割
とはいえ、《アルプス交響曲》は、あまりにも旧世界、「昨日の世界」だった。価値観が、戦争によって良くも悪くも変わっていく社会の姿に何も追いついておらず、まったく19世紀の世界そのままだったのである。第一次世界大戦はもちろん、《春の祭典》の後の音楽だというのに!《アルプス交響曲》の初演の演奏会場には、着飾った上流階級の人間達が多く集ったという。そしてリヒャルト・シュトラウスは、自分の音楽上の要求がちゃんと実現出来るか、まずは、大量の楽器とそれを演奏する奏者達がかき集めることが出来るかを心配していたという。多くの若者が死線で睨み合ってる、その最中に!先に書いた第一次世界大戦に従軍した音楽家は、戦後、それまでとは全く違う音楽と芸術の形を希求することとなる。それは様々で一様ではなかったのだが、とにかく、芸術を巡る意識が激変したことは確かだった。《アルプス交響曲》以後も、リヒャルト・シュトラウスの音楽のスタイルは変わることが無かった。第一次世界大戦以後もリヒャルト・シュトラウスは作曲を続けるが、それらが以前のように話題を呼ぶことは既になかった。時代が、遥かに先に進んだためである。
しかし何度でも書くが、今日、《アルプス交響曲》はリヒャルト・シュトラウスの代表作として、確固たる地位を得ている。第一次世界大戦どころか第二次世界大戦の終戦をも見届けたリヒャルト・シュトラウスは1949年まで生き続け、晩年にも《オーボエ協奏曲》や《四つの最後の歌》というクラシック音楽史においても屈指の傑作を誕生させている。晩年に至るまで、機能和声の効果を使用し尽くすというリヒャルト・シュトラウスの創作の根本姿勢はいささかも揺るがなかった。それ故に、リヒャルト・シュトラウスはロマン派という人間の精神活動を、いや、19世紀ヨーロッパの文化・芸術活動に幕を閉じるという、人類の歴史においても類い稀な、他の誰にも出来ない役どころを、見事に果たすことが出来たのだった。芸術というものは何を見据えれば良いのか。フランス革命の時代に、同時代の人間に対してメッセージを送り続けたベートーヴェン。そして、時代からは超然とした地位を保っていたが故に、時代を超えた役割を担うこととなるリヒャルト・シュトラウス。どちらも、真実の芸術家である。
ニーチェの『反キリスト者』
さて、ここまでは、後の世から《アルプス交響曲》を見た話。ここからは、それまでの時代の流れから《アルプス交響曲》の誕生までを眺めてみることとしよう。リヒャルト・シュトラウスは情景を、なんらかの具体的なテーマをもった音楽を作曲することが非常に得意な作曲家だった。その反面、具体的なテーマの無い抽象音楽を苦手としていた。リヒャルト・シュトラウスからしてみると、ベートーヴェンの抽象的な交響曲でさえ、いささか理解の範囲を超えたものだった。得意分野は文学的なテーマを持つ交響詩と歌劇。歌曲も得意だった。リヒャルト・シュトラウスは一旦、交響詩の分野で成功して、その後、オペラの分野に乗り出した。前述の通り、《サロメ》や《薔薇の騎士》で大当たりを出す。特に、《エレクトラ》でホーフマンスタールという優れた劇作家を歌劇創作のパートナーとして得ることになった以降は、《薔薇の騎士》や《ナクソス島のアドリアネ》や《影の無い女》など、名作を次々に誕生させている。ここでオペラの人になったかと思ったリヒャルト・シュトラウスだが、1911年になって、以前から暖めていた、ニーチェの著作『反キリスト者』を元に交響詩を作曲するというアイデアを具体化することとする。ニーチェの『反キリスト者』が初めて世に出たのが1895年のこと。リヒャルト・シュトラウスは、既にこのアイデアを少なくとも1902年の段階には持っていたらしい。リヒャルト・シュトラウスが、同じくニーチェの著作『ツァラトゥストラはかく語りき』を源アイデアとした同名の交響詩を作曲したのが1896年で、ニーチェはリヒャルト・シュトラウスお気に入りの哲学者・思想家だった。ニーチェのなにがリヒャルト・シュトラウスをそこまで引きつけたのか。ニーチェの哲学は難解であり、容易に人を寄せ付けない。また、リヒャルト・シュトラウス自身がニーチェの思想をどこまで正しく理解していたかも問題となるだろう。しかし一つ言えることは、ニーチェがキリスト教に対して抱いていた反感について、リヒャルト・シュトラウスも強い共感を抱いていたということ。リヒャルト・シュトラウスはキリスト教的なものを酷く嫌った人間だった。リヒャルト・シュトラウスの作品を眺め見た時、宗教的な作品が皆無なことに気がつくだろう。死後の世界や祈りといった、直接にキリスト教を意識させない精神世界的な要素さえ、無い。このことは、マーラーと比較すると一層はっきりとする。マーラーは交響曲第2番《復活》や8番といった神の概念を扱った作品、また9番のように宗教を超えた精神的イメージ・瞑想的な世界といったものを感じさせる作品があるが、リヒャルト・シュトラウスにそのようなものは無い。そこは非常に徹底していると言って良い。そんなリヒャルト・シュトラウスは、キリスト教的な世界観を超人思想といったもので乗り越えていこうとするニーチェに対して多いなる共感を抱きつつ、その著作を手に取ったのではないだろうか。また、このニーチェの思想は、キリスト教の権威を罵倒し尽くしたヴォルテールの『カンディード』の最も過激な末裔であるといえるかもしれない。しかし、キリスト教への反発が、なぜアルプスなのか?この答えは、オイレンブルク社の《アルプス交響曲》のスコアに掲載された解説でも引用されているニーチェの『反キリスト者』の前書きに要約されている。これは、リヒャルト・シュトラウスの《アルプス交響曲》を貫く精神を見事に説明する一文となっているので、ここで引用することとしよう。
「人は、山頂で生活することに、―政治や民族的我欲の憐れむべき当今の饒舌を、おのれの足下にながめることに、熟達していなければならない。人は無関心となってしまっていなければならない。はたして真理が有用であるのか、はたして真理は誰かに宿業となるのかとけっして問うてはならない・・・今日誰ひとりとしてそれへの気力をもちあわせていないいない問いに対する強さからの偏愛、禁ぜられたものへの気力、迷路へと予定されている運命。七つの孤独からの或る体験。新しい音楽を聞きわけうる新しい耳。最遠方をも見うる新しい眼。これまで沈黙しつづけてきた真理に対する一つの新しい良心。そして大規模な経済への意思、すなわち、この意志の力を、この意志の感激を手もとに保有しておくということ・・・おのれに対する畏敬、おのれへの愛、おのれへの絶対的自由・・・」(引用は『偶像の黄昏 反キリスト者 ニーチェ全集14』原佑訳、ちくま学芸文庫、1994年から。)