ここで注目すべきは、「山」が下界の世俗世界と対比する概念になっていることである。実際、現代社会でも登山は大いに人気がある。多くの人が山に登る。そこには、日常社会とは全く異なる世界がある。それは神々しくさえあり、まったく新しい自分に出会うことも出来るのである。。。私は登山をしない人間なので実感を持って語ることは出来ないのですが、こんな感じでしょうか。さて、ここで気をつけておくべきは、ヨーロッパにおいて「山」が持つ意味が、古代から途中で大きく変遷していること。登山体験や山そのものに対して畏敬の念を抱くという感覚は、現代では普遍的なものであると言って良いだろうし、特に山は神聖なものであるという感覚は、日本では古来から続く一般的な意識だろう。霊峰立山・富士山の世界である。ところがヨーロッパにおいては、そうではなかった。18世紀の終わり頃までは、山は風景を損なう醜い隆起で、好んでそこに登るなどもってのほか、という存在だった。暗黒の世界、悪魔が住まう山。その意識が変わるきっかけとなったのが、科学の発達とそれに伴う意識の変化だった。アルプスとそこにある自然は観察の対象となり、研究・収拾の対象となり、ついには愛好の対象となる。この時代、産業化が進み自然に対しても抗うすべを徐々に人間が持ち始めたことや、また、都市化の進展により、自然というものが徐々に癒しと憧憬の対象となっていったということもあるだろう。そして、遂に「山」は理想の存在となる。ここで、ロマン派のドイツの画家カスパー・フリードリヒの絵を思い出す方もおられるかもしれない。険しい山の頂きに立つ男の背中と、雲海とところどころ姿を見せる山の姿が印象的な『雲海の上の旅人』の作者である。フリードリヒは他にも、山や自然の様子を神秘的な、理想化した姿で描いた。この山の姿からわずかに残った宗教的なものを引きはがし、山を完全に人間のものにしようとしたのが、ニーチェやリヒャルト・シュトラウスだった。
山とは、登山とは ― ドイツの場合
さらに、もう一つ。登山などで自然に触れ合うことや山そのもを物語の対象・舞台とすることは、この当時のドイツでは大流行していた社会現象だった。ワンダーフォーゲル運動や山岳映画である。ワンダーフォーゲル運動は長い期間に渡って多様な広がりを見せたが、キーワードとなるのが「健康」である。この時代、健康を保つことが多いな関心ごととなった。その背景には前述した通り都市化の進展と劣悪な労働環境による健康への希求、医学の発達と、さらには屈強な兵士を要求した国家の要請というものが上げられる。そういったものが折り重なり、「健康」を求め人々は自然を散策し、山に登った。リヒャルト・シュトラウス自身、登山を行っている。少年時代、バイエルン地方にありドイツとスイスとの国境にまたがるツークシュピッツェ山という山に登り、そこでの体験が《アルプス交響曲》に織り込まれているという。このツークシュピッツェ山、標高は2,962メートルでバイエリッシュ・アルペン山脈に属し、歩いて登ると2日程度、らしい。《アルプス交響曲》は急ぎ足で一日で一日で済ませてしまったようであるが、イメージするものとしてはさほど間違いではないだろう。標高7,000メートルを超えるような山に登ることをイメージすると、それはいささか違うものとなる。さて、ワンダーフォーゲル運動である。山に登ることは組織化され、社会的な意味を持つようにもなってきた。この「健康」というキーワードは、後のナチス・ドイツに繋がってくる。ナチス・ドイツは国民を「健康」にすることに熱心だった。そして「健康」でないものは、排除の対象となったのである。また、音楽的にも見逃せない。ワンダーフォーゲル運動において、ドイツの地方の民謡が多く採取されたという。また、山登りの最中に歌われる歌もあっただろう。《アルプス交響曲》中の「登山のテーマ」は歌詞を付けて山登りの際に歌うにはうってつけのように思えるのだが、どうだろうか。どこかに引用元があるのだろうか、それとも「それらしく」したリヒャルト・シュトラウスのオリジナルなのだろうか。また、山の様子はフィルムにおさめられ、当時、勃興しつつあった映画という新ジャンルで盛んに取り上げられた。ワンダーフォーゲル運動では気軽に行けないようなアルプスの高峰にも、撮影隊は向かっていった。そこでおさめられた映像は、地上の暗闇の映画館の中で、人々の目を釘付けにさせた。またこの山岳映画というジャンルで、一人の重要な人物が有名となる。山岳映画女優として名を馳せたレニ・リーフェンシュタールである。多くの山岳映画に出演して知名度の上がったリーフェンシュタールは、後に監督に転身。監督第一作目の『青の光』(1932年)は自身が主演。この作品は大絶賛を浴び、当時、ドイツの覇権を握ろうとしていた集団の目に留まることとなる。リーフェンシュタールは後に1935年にナチス党の党大会を取り上げたドキュメンタリー映画『意思の勝利』(1935年)、1936年のベルリン・オリンピックを取り上げた記録映画『オリンピア』(1938年)で、世界的な注目を浴びるようになる。『オリンピア』において崇高に表現された白人男性の肉体美。そこにナチス・ドイツとの思想との親和性も見て取ることが出来るかもしれない。