そしてもう一度、その交響曲は誰がために
《レニングラード》交響曲の大成功によりフリーハンドを得るようになったショスタコーヴィチだが、この大成功はショスタコーヴィチ自身を苦しめるようにもなった。次作へのプレッシャーが尋常なものではなくなったのである。昨年、邦訳が出版された『ショスタコーヴィチとスターリン』という著作において、著者のソロモン・ヴォルコフ(あの『証言』のヴォルコフである)は、序文の冒頭においてこのように書いている。「ギリシャ神話の歌い手オルフェウスをのぞけば、ソ連の作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ以上に自分の音楽で苦しんだ者はいないだろう。」これを読んで、ヴォルコフも筆者と同じように考えてるのかと思ったが、読み進めてみるとヴォルコフの考えは筆者とは微妙に異なっているようであった。ヴォルコフは、時にスターリンの意に添わない音楽を作曲したショスタコーヴィチの創作人生が絶えずスターリンのプレッシャーのもとにあり、「その生涯を生きる地獄にした」と述べている。無論、スターリンからのプレッシャーは尋常ではなかったが、ショスタコーヴィチは交響曲第5番と第7番において、その凄まじいプレッシャーを完全に跳ね返している。しかし、人は三度目を求めるようになる。ここまでくるとスターリンは関係なかった。そのほかの人間からの期待が異常に強くなったからである。筆者はそのように考えている。一度目と二度目は、ショスタコーヴィチのやりたいことと周囲の求めることが一致していた。しかしそれが一旦ずれ始めると、そこに待っているのは悲劇だった。端的に言えば、華々しいフィナーレの有無。次作の交響曲第8番は静かに消え入るように終わっていくが、これはショスタコーヴィチ自身が望んだものであり、ショスタコーヴィチはこの交響曲に絶対の自信を持っていた。問題なのは、盛大なフィナーレを書こうとして書けなかった場合である。それが最も顕著なのが9番、そして10番であろう。《レニングラード》の後、ショスタコーヴィチの作品は芸術の深度をますます強くする一方、極めて内向的な音楽の作曲に向かっていくようになる。
とはいえ、二度も期待に応えたのだからそれでもう十分だろう、とも思える。前回、《アルプス交響曲》の解説において、第一次世界大戦の最中、芸術家達はそれぞれの形で国家に貢献しようとしたと書いた。しかし、クラシック音楽家たちは、自分たちの貢献がさほどのものではないという事実に直面し、苦しむこととなる。音楽で社会に貢献は出来る。それは確かである。しかしそれは、堅苦しいクラシック音楽ではなく、気軽で簡単なポピュラー音楽でより多く達成されるのではないか。そういうクラシック音楽の無力さに絶望したのが批評家のパウル・ベッカーだったのだが、そのベッカーの夢を、ショスタコーヴィチは完全に実現させたのである。特に《レニングラード》交響曲は尋常ではなかった。純然たるクラシック音楽が、多くの人々をまとめ、希望に灯をともし、歴史の流れを変えることに幾ばくかの役割を果たしたのである。ベッカーは第二次世界大戦前にこの世を去ったが、ベッカーの問いかけはまだ現代にも生きているであろう。その答えの一つが《レニングラード》交響曲の筈なのだが、私も含めて、人々はその事実をまだ把握しきれていないように思う。社会にとって芸術は何か、どう関わっていくべきなのか。社会はシリアスな芸術作品を本当に必要としているのか。それは一部の愛好者のためのものではないのか。
そしてまた、ショスタコーヴィチがこの交響曲で何をしたかったのかという問題がある。ショスタコーヴィチはある時、親しい友人にこう語ったという。「交響曲第7番も第5番も、たんにファシズムだけでなく、私たちの体制、総じてもろもろの全体主義に関する音楽なのです」と。ヒトラーだけではなく、スターリンも破壊したレニングラードの街と人々。筆者自身は、ショスタコーヴィチが後になってどのように語ろうとも、作曲の経緯と当時のショスタコーヴィチの高揚した様子から、《レニングラード》交響曲の作曲動機はドイツ軍の侵略とレニングラード包囲にあると考えている。この交響曲をレニングラードに捧げたのも、その延長上にあろう。とはいえ、後の世の人間が、音楽の解釈を作曲当時の事情だけに押し込めて考えるのは、多少無理がある。そしてそれは、作曲家自身にも通用することではないのか。ショスタコーヴィチは自作のコンセプトを完成後になって修正しているように思えるのだが、それは、包囲されたレニングラードの実情を聞き、この交響曲が引き起こした様々なことを経験した後の、ショスタコーヴィチの偽らざる実感だったのかもしれない。人間性を脅かすものへの、戦い。ショスタコーヴィチが譜面に書いた《レニングラード》も、レニングラードを包囲したドイツ軍が聞いた《レニングラード》も、占領されたベルリンで人々が聞いた《レニングラード》も、同じ音楽である。そして、今日、ここで鳴り響くのも。
果てしない思考に沈む前に、一編の詩を(※)。ショスタコーヴィチと同時代を生きたソ連の大詩人、アンナ・アフマートヴァ。アフマートヴァはショスタコーヴィチに負けず劣らずの激しい弾圧を受けたが、その詩は隠れて読み継がれ、今ではロシアの代表的な詩人の一人である。そんなアフマートヴァはレニングラード包囲に際してタシケントに疎開しているのだが、レニングラードについて書いた詩の中で《レニングラード》交響曲を取り上げているのだ。めったに目にすることは無いと思われるので、折角の機会なのでここに紹介しようと思う。空に飛び立つ魔女のイメージは、これもまたショスタコーヴィチと同時代を生きた作家ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』にイメージを負っているという。自分で長々と書いておきながら恐縮ではあるが、《レニングラード》のことを音楽以外の面で、当時の社会状況から把握しようとなると重い話が続くのは仕方が無い。とはいえ、そういう音楽と思われる「だけ」だとしたら、それもちょっと寂しい。そんな事実以外にも、《レニングラード》交響曲が想起した一つのイメージとして、こういうものもあると知ってもらえれば幸いである。
演奏会を終えてコンサート会場を出たところで夜空を見上げてみる。そこに見えるは、果たして爆撃機か、それとも魔女か。
※ アンナ・アフマートヴァの詩は、演奏会当日配布するプログラムのみの掲載となります。ご了承ください。