〈未完成〉との間を繋ぐ鍵としての『ハンガリー・ジプシーの音楽』
1828年に31歳で早世したシューベルトと、5年後の1833年に生れたブラームス。その接点が、1880年代にブライトコプフ社が刊行したシューベルト全集で、ブラームスが交響曲の巻の編纂を担当したことにあるのは拙著『交響曲の名曲・1』で述べたとおりだ。しかし1822年前後に作曲されたまま眠り続け1865年に初演された〈未完成〉と、それより前の1861年に完成・初演されたブラームスの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉との関係をひもとくのは一筋縄ではいかない。鍵は『ハンガリー・ジプシーの音楽』にある。
以前ハンガリーの指揮者I.フィッシャーがN響に客演して『ハンガリー音楽特集』を指揮した際に〈未完成〉が入っていたので、その理由について質問を受けたことがある。しかし、これは音楽映画『未完成交響楽』をご存じの世代には説明を要しないことであろう。そこではハンガリーの貴族エスタルハージ家の令嬢との恋の破局が、第3楽章以下を破棄させた原因として描かれていたからだ。史実を自由に取捨選択してロマンティックなフィクションを創作した古典的音楽映画にクレームをつけるなら、例えば、最晩年に作曲されることになる〈菩提樹〉が既に歌われている等、幾らでもできるが、シューベルトが高名な貴族の音楽教師として雇われてハンガリーのツェレスに赴いたのは事実(但し令嬢は、まだ12歳だったのだけれども)。そして〈未完成〉にハンガリー・ジプシーの音楽を思わせる主題が登場するのも明らかなのだ。
第1楽章が始まって直ぐオーボエとクラリネットがユニゾンで吹く主題①がそれ(以下ジプシー関係の譜例は、比較し易いようにイ短調に移調してある)。ついでに言うと、こうした単旋律を木管で呈示する場合、普通は一つの楽器のソロの方が推奨される。違う楽器2本のユニゾンだと音程が合いにくいからだが、シューベルトが敢えてリスクを犯したのはハンガリー・ジプシーの使う木管楽器の土臭い音色を、ダブル・リードのオーボエとシングル・リードのクラという異種の混合色で真似しようという意図があったからだという説もある。
②がハンガリー・ジプシーの短音階とされるものだが、①の↓のミ♭あたりが、クラシック音楽の一般的な短音階とは違って『こぶしを効かせた』感じとなる。これを半音高いミ・ナチュラルで演奏してみれば、この音が〈未完成〉の哀調を帯びた雰囲気の鍵を握っていることがお分かり頂けることだろう。
ジプシー音楽はウィーンでも聴けたはずであり、シューベルトがツェレスで初めて接したということにはならないと思われるので、シューベルトの場合、時系列的な前後関係まで深追いしても意味はないが、ブラームスの場合は直接の伝授者がはっきりしている。17歳の時に知り合ったハンガリーからの亡命ヴァイオリニスト、レメーニだ。その成果が35歳の1868年に〈ハンガリー舞曲集〉として発表されたのはご存じのとおりだが、それより前に初演されて大成功を収めたハンガリー・ジプシー系の作品がある。それが他ならぬ、この〈ピアノ四重奏曲・第1番〉なのだ。
1861年にクララ・シューマンのピアノ他で行なわれた初演は、特に第4楽章が聴衆から最も喝采され、友人の大ヴァイオリニスト、ヨアヒムもこのフィナーレ楽章を絶賛したという。③がその主題。この場合音程そのものは普通の旋律的短音階なのだが、6小節目(↓)で高く跳ね上がるあたりが民俗的だ(普通ならオクターヴ下になるはず)。
パソコンがフリーズしてしまったおかげで、この原稿は03年のニューイャー・コンサートを観ながら打っているのだが、アーノンクールが〈ハンガリー舞曲第5番〉をブラームスが一番気に入っていたというライヒェルトの編曲で演奏している。その中で最も目立った特徴は、主部の終わりで、旋律線が通常よりオクターヴ高く跳躍すること。この『裏返った』強調こそは、③の6小節目と同じで、ブラームスがジプシー風と感じていたポイントの一つに他ならないのではあるまいかと、改めて実感した次第。フィナーレ楽章中間部のチェロに出てくる短調の主題④などは、ジプシーの嘆きそのものと言っても過言ではなく、理屈っぽい説明は不要だろう。