「進歩主義者ブラームス」
ブラームスの音楽は、ブラームスの存命当時から今に至るまで、概ね保守的な音楽だと思われている。特に後世の作曲家は、「新しいこと」が作品の大きな判断基準になることが多い現状も相まって、ブラームスのことをよく言う人はあまりいない印象がある。その数少ない例外が、アーノルト・シェーンベルクである。12音音楽の創始者であるシェーンベルクは20世紀音楽の祖と言える人の一人だが、そのシェーンベルクはブラームスのことを「進歩主義者」として賞賛しているのだ。
1933年、シェーンベルクはブラームス生誕100年となるこの年にブラームスについての講演を行っているが、1947年にその講演内容を元に「進歩主義者ブラームス」という論文にまとめている。この論文は邦訳され出版されており日本語でも読むことが出来るが、シェーンベルクによる詳細な楽曲解説も含まれており、シェーンベルク特有の韜晦的な叙述もあって、その内容を理解することは容易ではない。とはいえ、この論文の元になった講演も併せて読んでいくと、以下のようなことが分かってくる。
まず、シェーンベルクにとって、音楽は進歩するものという前提がある。単純なものから複雑なものへと進む。そのことをシェーンベルクは人が何かを好きになった場合、理解と探求が素朴なものから複雑なものへとどんどんと進んでいくことを例にとって説明している。そして、その音楽の進歩にブラームスは貢献しているのだと続く。では、どう貢献しているのか。シェーンベルクはブラームスやワーグナーの作品を例にとり、ブラームスと比較してワーグナーは進歩的だと思われているが、ブラームスの作品にもワーグナー以上に革新的な部分があること、そしてワーグナーの作品にもブラームス以上に保守的・類型的な部分があることを例示する。(この辺りは論文だと譜例を元にした詳細な楽曲解説が繰り広げられるのだが、講演の方はあっさりとした説明で片付けられている。)しかし、ワーグナーもブラームスも同じく、素朴なものから複雑なものへと進んでいった人であるということには変わりがない。そしてブラームスは言う。ワーグナーは和声に新しい可能性をもたらし、ブラームスは旋律を形成するにあたっての新しい可能性をもたらしたのだと。ここでシェーンベルクは、ブラームスの旋律の流暢さの裏に隠れる数々の創意工夫を読み解いていく。規則正しく流れるような音楽の中にある不規則性、その不規則性にシェーンベルクは焦点をあてていく。そして「私が思うに、この不規則性はブラームスの自由な拍子感覚に起因し、不規則性を好む傾向は、単に形式的なだけのすべての規則、対称性、理解の手段としてのみ役に立つ反復、そして小節線というあらゆる強制から、思考表現を解放することなのです」と述べる。(この引用は講演の方から。一度聞いただけで大意を理解させることを求められる講演の文章の方が、全体的に大意はつかみやすいものとなっている。)そして、そういった不規則性と複雑さはブラームス以前の作曲家には見られなかったものだが、ブラームス以降、その複雑さを継承する作曲家が現れ、音楽の発展は続いている。故にブラームスは進歩主義者である、と。(石田美雪、上野大輔、久保田慶一、森田美香子「A.シェーンベルクの講演(1933年)および論文(1947年)『進歩主義者ブラームスについて』」東京学芸大学紀要 第2部門、人文科学51、2000/02、P35-79から。この論文はシェーンベルクの講演と論文の二つを同一のことを語っている箇所を並列する形で掲載しており非常に読みやすい。シェーンベルクの論文の方は邦訳され出版されたものがあるが、入手困難なこともあり、興味ある方はこの紀要掲載の論文を参照することをお勧めする。インターネット上に上がってるためにアクセスも容易なものとなっているのがありがたい。)
講演の方ではその後継者はマックス・レーガーの名前が挙げられているのだが、無論、シェーンベルク自身もその系譜に位置づけられることをシェーンベルクは無言のうちにアピールを行っている。そもそも、この講演自体、シェーンベルクの作品に対する無理解に対する啓蒙措置として、指揮者のハンス・ロスバウト(同時代作品を積極的に演奏した指揮者の一人である)が企画した講演企画から始まっている。シェーンベルクは、まず偉大なドイツ音楽を説明した上で、その系譜の上にあるのが自分の作品であるということを、聞く人々に理解させようとしたのだ。そういったシェーンベルクの意図はここでは置いておくとして、シェーンベルクが言うブラームスの革新性が交響曲というジャンルで結集したのが、本日演奏する交響曲第4番である。