ドヴォルザーク (1841~1904) 交響曲第8番 ト長調 作品88

チェコの民族性とドヴォルザークの交響曲第8番

ドヴォルザークが交響曲第8番の作曲を開始したのが1889年の8月で、その年の11月には既に完成している。初演は翌1890年2月、ドヴォルザーク自身の指揮によってプラハで行われた。前作の7番とは打って変わって、全編に明るさと喜びが充満した作品となっている。この作品においてドヴォルザークはチェコの民族音楽の要素を所々に使用しているのだが、そのことよりも何より、音楽自体でチェコ人の「民族性」を表現することに成功したという評価を獲得したのだった。

さて、である。この音楽で表現される「民族性」とは一体なんなのか。民族性を音楽で表現しようとした場合、いったいどうしたら良いのだろうか。音楽で民族性を表現しようとした場合、最も直接的で分かりやすいのが民謡や民俗舞曲をその作品に使うことである。しかしこの方法は表面的なものにすぎないのではという反論がある。特に交響曲というジャンルは前述のように論理的な構築性が最も重要なものであり、民謡や民俗舞曲の使用というのは、その根本的な部分に関わるものではない。そのことはドヴォルザークの同時代にも広く一般的に言われていたことであり、ドヴォルザークも十分に意識していた。そういった表面的なものに留まらない、その音楽で表現しようとした内容を含めた概念としての民族性。ここから先は、その時々の社会のあり方や政治情勢、そして理想といった繊細な事柄や非常に抽象的なものになってしまうため、論理的に説明するのが非常に難しいものとなってしまう。

実のところ、当のチェコでも20世紀に入った頃になると、スメタナとドヴォルザークのどちらがより「チェコ国民音楽」として相応しいかという論争が起きている。当然ながら既にこの世を去ったスメタナとドヴォルザークはこの論争には参加していないが、この論争は、交響詩という新しいジャンルを創作の中心としたスメタナは革新的で交響曲という古めかしいジャンルを創作の中心としたドヴォルザークは保守的、よって新しいチェコに相応しいのはスメタナの音楽であるという結論が出たらしい。(以上は、内藤久子『チェコ音楽の歴史 民族の表徴』音楽之友社、2002年に詳しい。)現在の日本から見ると不毛なものにしか思えないこの論争だが、当事者達にはそれなりに必然性のある論争だった。(ドヴォルザークは早くから国際的な評価を得ていたが、評価が遅れていたスメタナはこの論争を経てチェコ国民楽派の創始者と見做されるようになり広く知られる存在になったというプラスの側面もある。)

確かな形としては存在しない、抽象的なもの。しかし自らのルーツやアイデンティティのよすがとして、人はそれとは無縁ではいられない。この厄介なものとより真っ正面から向き合った音楽家が、バルトークである。

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