拍子は3/4のままだが、⑦《愛》の旋律線は3連符分割を基本にした9/8拍子。ショパンの〈バラード〉で、二人の想いが結ばれてワルツ的な輪舞へと高揚していく中間部に相当する。ラフマニノフ自身の作品で言うと、既に初演し成功をおさめていたピアノ協奏曲〈第2番〉の第2楽章や、交響曲〈第2番〉の第3楽章のロマン的陶酔が再現。ハープの分散和音が加わる頂点で(練習番号「16」番。ティンパニを追加して強調する指揮者も多い)愛は成就する。
プッチーニの〈蝶々夫人〉の第Ⅰ幕終景や、ワーグナーの〈トリスタンとイゾルデ〉の第Ⅱ幕中間部に相当するロマンティシズムの極致だが、この陶酔は〈トリスタン〉の第Ⅱ幕と同様、破壊工作の渦に巻き込まれていく。テンポが速まる後半部の登り坂でトロンボーンが奏する⑧は、③《嘆き》の変容による《警告》のイメージだが、メロート、ハーゲン、イヤーゴ、メフィストフェレスといった暗黒界からの刺客に重なり合い、シンバルの一撃を頂点とする奈落ち的な下降半音階にティンパニのトレモロが駄目押しする形で、主人公に、死に至る致命的な一撃が加えられたことが示される。
ラフマニノフは、ここでマーラーの〈9番〉と同様に、〈悲愴〉の終楽章に於ける“死のシンコペーション”をリズム主題として引用した。⑨の上段でヴィオラが反復するリズムがそれである。主題として旋律線を担うのは下段のチェロで、これは、言うまでもなく③《嘆き》。ここからが、終景としての『第Ⅲ幕=死の場』で、ボリス・ゴドゥノフ、ジークフリート、オテロの最期に相当し、死に至る渦巻きは、竜巻のような奔流となり打楽器群を加えたfffの頂点は、⑩《運命主題》でとどめを刺される形となる。
ベートーヴェンの〈5番〉のリズム主題は、多くの作曲家が用いているが、文字通り『運命』として引用したのがラフマニノフ。歌曲〈運命〉では、リズム主題が記号的に何度も反復されるがここでは、心臓に達した槍の一撃のイメージだ。
ヴィオラのトレモロが絶命を暗示した後、クラリネットが〈ディエス・イレ〉の冒頭を④cのように簡潔な反復で示し、ヴァイオリン・ソロによるブリッジがオーボエのソロによる⑦《愛》の回想を導き、ラルゴで⑥《弔いのコラール》が、現実の葬礼へと引き戻す。そこから後のコーダは、既出主題による、しめやかな追悼となり、イ短調の主和音で静かに結ばれる。
別稿にもあるようにラフマニノフは1929年に自演盤を残している。参考の為に聴いてみたところ、テンポが速いうえにカットだらけなのに驚かされた。最長でも5分が限界の当時の1テイクの中に、音楽をブロック毎に収録しようと現場的な制約からカットしたのは明らかで、演奏の参考にしようと思っていた接続の難所が、ことごとく飛ばされているのには拍子抜けしてしまった。最も予想外だったのは、この解説で『愛の場面』とした変ホ長調の中間部。どの既出盤よりも超快速で直進し、しかも竜巻状にクレッシェンドしていく「17」番以降で、楽譜にはない急激なリテヌートを2度ほどかけるのだ。これを、誰かが真似たら『趣味の悪い田舎芝居』として、一斉非難を浴びることだろう。
頂点の「16」は1拍前にrit. が書かれているだけだが、ラフマニノフは2小節前ぐらいから急ブレーキを踏み「16」にかけては歌舞伎役者ばりの大見得を切る。『そこまで超快速でスッ飛ばしてきたのは、この山場で見得を切る時間を確保しておきたかったからに違いない』と思わせるのだ。録音が悪いので確証はないが「16」のティンパニの一撃は追加されていないように聞こえる。
つまり、変な通勤快速に乗ったみたいなもの。停まるはずの主要駅をことごとく通過し、一番重要な駅の直前でブレーキを踏むので、最も強調したかった個所がどこなのかは非常によく分かった。そうした意味では参考になったが、この自演盤について、限られたスペースで語ると、短絡的な誤解を与えかねないので、ここまでとしたい。
(金子建志)
- 1
- 2